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自分の全てを認める

2023.07.27 06:47

Facebookごとう 孝二さん投稿記事 「自分の全てを認めると輝く」

目の前に1枚の紙があります。あなたが紙の片面を「こちらが表」と定義するとき、同時に「裏」が生まれます。

あなたが「生」まれたとき、同時に「死」が生まれました。

あなたが何かを「美しい」と思ったとき、同時に「醜い」ものも頭の中に生まれました。

もし世界に「男性」がいなければ、自分が「女性」だとはわからない。

「善-悪」「強-弱」「左脳-右脳」「勝-負」「高-低」「出逢い-別れ」…それらは別々のものではなく、すべてワンセットであり、 互いに支えあっている。

凍える寒さを経験した人は、日差しの暖かさを知っていて 病気を経験した人は、健康への感謝を知っていて飢えを経験した人は、 一膳のご飯の美味しさを知っていて 孤独を経験した人は、絆の大切さを知っていて 絶望を経験した者は、希望のありがたみをよく知っている。

でも自分の弱さを認められない人は、他人の弱さを受け入れることもできず

自分の弱さがわからなければ、自分の強さにも気づくことができないのです。

光が美しく輝くことを支えているのは「闇」であり、光が存在できるのは、闇がそこに在るからです。

あなたの光の部分を引き出すために、まず闇の部分を認めてみてください。

これは、闇を好きになれ、という意味ではありません。

好きになるのと、存在を認めるのとでは、まったく違う。

長所(光)と短所(闇)、両方あるからこそ、自分なんだと認めてあげること。

自分のダメなところ、カッコ悪いところは、素直に認めればいい。

そうやってプラスもマイナスも両方を受け入れ、それでよいのだと自分を許してあげると

心の余裕が生まれる。

心に余裕が生まれると、そのマイナスの欠点から魅力的な人間力がにじみ出てくる。

そうなれば、人はどんどん、活き活きと輝いてくるんだよ。

幸せはいつもここにあるより。

「かゆいとこないですか?」

Facebook清水 友邦さん投稿記事

日本人は我慢強く、震災が起きても他人を思いやる気持ちを失わず略奪が起きないと言われています。

しかし、心の痛みから目をそらして抑圧されたエネルギーが自覚されずに外側に行動表現されると社会的弱者へ向かいます。

組織の上司は部下へパワハラ、旦那は家の奥さん、子供へ、奥さんは旦那、子供へ、

子供は学校で同級生、下級生へ陰湿ないじめ ネットの世界では炎上が起きます。

抑圧されたエネルギーが内側に向かえば 衝動的な浪費や、アルコール依存、過食を繰り返したりします。

自分を傷つけ、自閉症、うつ、登校拒否、病気になったり、絶望的になって自殺をはかったりすることも起きます。

いたるところで負の連鎖が起きています。

今でも覚えているのは旅先であった物質的には貧しいけれどアジアの子供達の輝いていた眼です。

日本に帰国してすぐに目にしたのはうつろな目をして歩く人々の姿でした。

服従するだけのピラミッド組織の歯車にされると人は知性を失い、生命エネルギーを失います。

ブラジルは殺人が多く、10年間で15万人が殺人で殺されています。

一時間に2人殺されている勘定になります。日本は年間3万人が自殺をしています。

一時間に4人が自殺していることになります。世界の自殺率ランキングと推移(1960~2016年)

https://www.youtube.com/watch?v=9bpzkf_KevM

日本は継続して自殺の上位を保っています。

自殺以外のストレスで病気になったり、心を病んでいる人の数は自殺の統計にふくまれていません「お金や物を持つと幸福になる」と信じて日本は高度経済成長を遂げました。

今の日本は物があふれかえり、飢え死にする人もなく、毎年500万~800万トンもの食料が破棄されています。

そして物質的には豊かになりましたが自殺、離婚、家庭崩壊、犯罪が増加しています。

物と心はカテゴリー(範疇)もディメンション(次元)も違うのでお金や物がいくらあっても心が幸せとは限らないのです。

「世界とは、こういうものだ」と私たちは思い込んでいます。

全ては空であると仏教は教えています。

あらゆるすべての現象に実体はなく私と思っている私さえも私ではないのです。

それが本当に真実なのか沈黙して世界を止めて確認する必要があります。


NakakoFacebookNakako Yamamotoさん投稿記事

よく考えてほしい。きみが何かを買うとき、お金で買っているんじゃないってことを。

そのお金を得るために費やした時間で、買っているんだよ。

過ぎた時間とは、きみの人生だ。過ぎ去ったら取り返しがつかない。だから、大切にしないといけないんだよ、人生という時間を。

・・・

なかでも子ども時代はもっとも幸福な時期だ。大人は子どもをせかさないてほしい。

子どもは遊んで、遊んで、遊んで、幸せにならないといけない。

知識、知識、知識、情報、情報、情報、と急いで与えないでほしい。

子どもはゆっくり育つべきなんだ。いまは物をたくさん作らないといけないから、経済的に価値ある人材を作ろうとしている。

はやく稼げるようになる勉強ばかりさせて、子ども時代を台無しにしている。

そして、8歳や9歳で小さい大人のような子どもを期待している。

しかし、子どものときをたっぷり生きてこそ、知恵と人格のある大人になれるんだ。

ビジネスが人生でもっとも大事なものだと思うなら、わたしは何もいうことはない。

わたしがもっとも大事だと思うのは、命と幸せなんだ。

だって奇跡なんだよ、生きているということは。

何よりも価値があり、短く、二度と戻ってこない。だから、この世にいる間にできるだけ幸せに暮らすことを心がけるべきなんだ。

死んだら楽園にいくという宗教があるけれど、楽園はこの世にあるべきなんだ。

楽園の鍵は、自分の心に、自分の意志にある。ほんとうらしいことに、惑わされてはいけない

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「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」汐文社


Facebook船木 威徳さん投稿記事【 ぼくの麦わら帽子 】

昨今の鉄道駅には「情」を感じなくなって久しい。私は、そう想います。

いまから30年、40年前、若かった私が、尽きることのない情熱を注いだのは、鉄道旅行でした。その旅の途中、限りない興奮を感じたのは、列車が本線を離れ、車体を揺らしながら支線に入ってゆくとき、そして、終着駅にゆっくりと入ってゆくときでした。

当時は、夜行列車をはじめ、長距離列車が日本各地を行き来していました。家族で、若者のグループで、社内旅行らしい集団で。車内には、旅の期待に胸をふくらませる明るさが充満していたものです。ただ、それでも、私がそこでいつも、心のどこかで感じていたのは、

「悲しみ」でした。車内には、嬌声をあげて弁当を広げ、酒を飲む人たちに混じって、必ずといっていいほど、窓をみつめ、考え込んでいるような、想いにふけっているような、そんな人たちがいました。

もしかしたら、親の訃報を聞いて、故郷へ向かう人なのかも知れない。

入試の不本意な結果に、失意の帰って行く人なのかも知れない。

仕事をやめて、夢をあきらめて都会を離れる人なのかも知れない。

なにか、人生に大きな問題を抱え、大切な人との別れを選んだのかも知れない。

失意や、不安、落ち着かない気持ち。そして、悲しみを抱えてもなお、人は前に進むしかない。

そんな、人の人生が旅にたとえられるように、列車は、喜びだけでなく、「悲しみ」も運んでいたのだと想います。その列車が、ひとつの旅の区切りとしての終着駅に到着し、そこに人々を吐き出すとき、ホームには、悲しみも交差していたのだと感じるのです。

その、駅の空気。終着駅の空気を、森村誠一氏以上に、ことばに表現した作家はいないでしょう。牛尾刑事を主人公とする氏の小説は、テレビドラマでも「終着駅」シリーズとして長く人気を集めていました。やはり、そこに描かれていたのは、人のはかなさ、切なさや、人生における悲しみだったように感じます。

多くの人が知っているでしょうが、「人間の証明」のなかの詩(西條八十の作。ちなみに西條八十は「青い山脈」などのヒット曲、童謡の作者でもあります)は、おそらく、森村氏が作中に引用したことで脚光を浴びたのだと私は考えています。

「母さん、僕のあの帽子どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓井から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、なにしろ深い谷で、それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花はもうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、その裏に僕が書いた

Y.Sという頭文字を埋めるように、静かに、寂しく。」(「ぼくの帽子」 西條八十 より)

麦わら帽子に象徴される、二度と戻ることのない時間。

幾度かの列車の乗換えののちに、新しい旅を繰り返しながらもなお、前の、その前の旅を想い出すのが人生なのかも知れません。谷底に帽子を落として「ずいぶんくやしかった」想いをした少年のように、私たちも、ふりかえれば、どうということのないものに、ずっと縛られ、捨てられないものを捨てる決心をする場所こそ、終着駅なのかも知れません。

捨てなければ、手放さなければ、ほんとうの意味で新しい旅は始められないのだけど、もしかすると、古いもの、もういらなくなったものごとを捨てる、手放す、という「決断」を忘れてしまっている・・・。それが現代の私たちの社会にある大きな病理とも言える問題なのかも知れません。

いま、列車のスピードはますます速くなり、旅行に飛行機を使うこともあたりまえになっています。目的地に至る時間があまりにも短いのです。長距離列車の窓にうつる、自分の顔をみつめながら、その大切な決断を下すまで、「考え続ける」時間。もしかすると、私たちは最近、その大事な時間まで失ってしまったのかも知れない。だから、終着駅に感じた「悲しみ」さえ、なくなってしまったのかもしれないのです。

私が、終着駅に感じていた「悲しみ」を、もはや感じられなくなったことが、あるいは、この時代に感じる「哀しみ」なのかも知れない。

私の少年時代の旅へのロマンをかき立ててくれて、人間の抱える、そこはかとない哀しみを切ないまでに表現し、伝えてくださった、森村誠一さんが24日に90歳で亡くなりました。 

ご冥福をお祈りします。

(ふなきたけのり 2023/07/26)