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- 2022年8月??日 - 青年の記憶/せめて笑顔でさよならを

2023.07.26 14:35

「イスタが、何だって?」


午前中の業務も終わり、さて休憩だと殆どのスタッフが去った後。閑散とした室内に自分の声がくっきりと浮かび上がった。
イスタ……、僕の妹が、今日ここを訪れるらしい。そう、目前の少年から伝え聞いたのが数分前。それに対し、壊れた機械の如く同じ質問を投げかけてしまったのが今。勿論、断じて、動揺しているわけではない。ダブルチェックは重要だという心がけの成果が出ただけで、断じて。
そんな思考をかき消すように、少し呆れたような声が、これまた数分前と同じ答えを落とす。


「イスタちゃんが昼過ぎに遊びに来るって」

「……遊びに、って。あの子、研究室をカフェか何かだと思ってやしないか?」


聞き間違いでは無かったことに肩を落としつつ文句を言うと、じゃあ僕とクレイはどうなるのさ、と彼は笑った。確かに、2人だってよく研究室に顔は出すけれど……。コル君の場合は、任務の報告ついでに休憩、というくらいなものだし。何より、忙しい時期には率先して色々手伝ってくれるから、来られて困るなんて思った事は一度も無い。
クレイ君に関しては、そもそもが予め許可を得た上での訪問だし、何より彼はマナーやルールの守れる良い子だ。問題なんてあるはずもない。それに、クレイ君は最近ようやく、1人で外出する許可を貰えるようになったらしいから−−とはいえ、母親が指定した条件の範囲内でのみ、という制約付きではあるのだが−−自由にさせてあげたい、という心境は当然と言えば当然だ。
そう思いつつ時計を見やれば、既に「昼過ぎ」と呼んで差し支えのない時間は訪れている。大体、なんだ、昼過ぎって。13時とか、14時とか、せめて具体的に時間を指定してくれ。そうすれば心の準備だって多少は出来るのに。


「何しに来るんだろ……」

「遊びに来る、としか聞いてないよ」

「……許可は?」

「取ってあるってさ」


そう言って、コル君は苦笑いのまま、ひらひらと端末を掲げた。メッセージを見せてもらうと、そこには端的に「今日の昼過ぎ、兄さんに会うため研究室に遊びに行きます。許可は得ています」とだけ記してある。
重く、深く、そして目一杯に憂鬱さを孕んだため息が、勢いよく体の外へ飛び出していった。現実が脳に届いてしまった、という現実に打ちひしがれて、渋々立ち上がり、再びため息をついた。


……イスタは、戸籍上では、僕の妹だ。それは、あくまでも戸籍上の事実であって、僕らに血の繋がりは無い。両親だってそうだ。
僕は幼少の折に、色々な事情があって、今の両親に引き取られた。物心がついてすぐ、というくらい小さい頃の話だけれど、今でも鮮明に思い返せる。……綺麗に整えられた玄関。靴を脱いだ僕の手を引く母と、にこやかに笑いかけてくる父。そして、嬉しそうに僕を呼ぶイスタ。そんな彼らを見て、本当に、素敵な家族だと思った。だからこそ、と言うべきか、僕の中に生まれたのは、完成した家庭の中に突然放りこまれてしまった事への違和感だけだった。
とは言え、まだ幼くて分からない事も多かったし、違和感を正しく認識するまでには、少しばかり時間もかかった。けれど、結局、その感情を明確に知る事も、拭い去る事も出来ないまま、小学校に入る手前で耐えかねてしまったのだが。……今思えば、僕は随分と賢い子どもだったと思う。今では見る影もないけれど。二十歳過ぎればただの人、とはよく言ったものだ。

ともかく、僕は、生まれてまだ数年しか経っていないくせに、必ずお金は返します、なんて両親に頭を下げて、寮のある小学校に通えることになった。予想通りと言うべきか、一生そこにいたいと思う程、ルールで囲われた寮生活は僕に向いていたけれど。非力な未成年である以上は、どうしても、長期休みだけは家へ帰らなくてはいけない。そのたびに、申し訳なくて、情けなくて、それでもただ逃げたかった。コル君と出会って、ハルと出会って、交流の輪を広げるうちに、心の底にある苦しみは薄れたけれど。
……思えば、クレイ君とすぐに打ち解けられたのも、昔の自分を重ねてしまうのも、こういった諸々の事情のせいなのだろう。……彼と接するように、家族とも接することができたら、きっと全てが上手くいくだろうに。そんなことくらい、とうの昔から分かってはいるけど。


「どうする? 逃げるなら……、上手く言っとくけど」

「いや、もう来る」

「え?」


回想に浸るのを辞め、諦めて扉を見据える。そんな僕を見たコル君が不思議そうに首を傾げた矢先、予想通りにノックの音が響き渡った。ため息を堪えて、どうぞ、と声を絞り出すと、急いたように扉が開かれた。その先では、イスタが嬉しそうに瞳を輝かせている。この表情も、その後の行動すら、予想通りだ。げんなりしつつ、駆け寄って来た体をしれっと躱した。


「ちょっと、兄様!」


むすっとして、不服さを全面に押し出す彼女は。もし、本当に妹だったら、可愛く思えたのだろうか。
思いかけて、無い話だな、と一蹴する。ネガティブで、面倒で、悲観的な僕は。きっと彼らの善意も、彼女の好意も、一生受け入れられはしないのだろう。

申し訳ないと思う。彼らの良心を、信じる事ができなくて。
だけど、これも、あと少しの辛抱だから。……両親に借りを、お金を、きちんとお返ししたら、それでおしまいにしたい。


そう。全ては、いつかの未来に、なるべく綺麗にお別れするためだ。