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白蓮の花

2023.08.08 05:55

Facebook清水 友邦さん投稿記事

白蓮の花は、サンスクリット語でプンダリーカ(Pundarika) といいます。

泥の中に蓮の種があると、蓮が泥で汚れているように見えますが、蓮の種は咲くと美しく輝く蓮華を秘めています。

蓮の花のように本当の自分が汚れることも傷つくこともない永遠の存在だということを示すたとえ話が法華経に出てきます。

初期大乗仏教経典の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」は、法華経と漢訳されていて宮沢賢治は、法華経により「悪しき幻想と妄想が尽く去る」と、手帳の中に書いています。

以下は『法華経』の信解品( しんげほん)にある長者の窮子(ちょうじゃぐうじ)という有名な話です。

『ある長者の一人息子が家を飛び出して、 放浪生活を何十年もして50歳になりました。

飛び出した父の家は商売が繁盛して倉は金銀財宝であふれかえり、大勢の下僕や使用人を雇い莫大な財を築いていました。

しかし、その家にはその財産を受け継ぐ子供はいませんでした。

父はいつも家を出た一人息子のことを思って心を痛めていました。

ある日、諸国を流浪して乞食同然となった息子が、自分の実家とは知らずに屋敷の前を通りかかりました。中をのぞくとあまりにも家の様子が豪勢なので、「場違いなところに来てしまった、こんな処にいたら捕まって何をされるか判ったもんじゃない」と、息子は怖れをなして逃げ出してしまいました。

息子に気づいた父親は、さっそく使用人に命じて追っかけさせました。

一生懸命逃げる息子を使用人が捕えると、息子は捕まって殺されるかもしれないと思い込み「どうか勘弁してください」と哀れな声を出し、あまりの恐怖の為、とうとう気絶してしまいました。

長年の放浪生活ですっかり心まで卑屈になってしまった我が子に父は落胆しましたが、ひとまず、息子の目を覚まさせて放免しました。

そして、こんどは驚かせない様に風采のあがらない下働きの使用人を使わして「糞を除くいい仕事がある、他より倍の手当てが出るからどうだ働いてみないか」 ともちかけたのです。

喜んでこの話に飛びついた長者の息子は家に住み込みで下働きをはじめることになりました。

父は息子と同じ貧相な着物を着て話しかけました。

「お前は他の使用人と違って、 愚痴を言わず正直でよく働く。わしの子どものように扱おう』と話しましたが、息子は自分は雇われている賤しい者だと思いこんだままでした。

年月を経て父は、真面目に働く息子を次第に重要な仕事をまかせて、財産を自由に管理させるようにしていきました。

それでも息子は財産は長者のものであり、貧しい自分には関係のないものだと思って働いて暮らしていました。

息子はしだいに新しい境遇に適応して心から卑屈さが消えていきました。

ある日、長者は自分の死期が近づいたことを知ります。そこで、親族をはじめ関係者に集まってもらい、ついに初めて、この子が自分の実の息子であることを皆に打ち明けまました。そして、 一切の財産をこの息子に譲ると宣言したのでした。』

この話の解釈はいろいろありますが、話の本筋は本当は長者の子供なのに自分は貧しく卑しい人間だと思っているところにあります。

白隠禅師は衆生本来仏なりと言いました。

本当は仏なのですが自我で覆われているためにそうは思えないのです。

自己の本性は、生まれることも死ぬこともない永遠の存在だ、ということを法華経では「久遠の仏(ダルマカーヤ)」といいます。

タントラ仏教の教えで存在には三つの身体(トリ・カーヤ)があって、それぞれ法身(ダルマ・カーヤ)報身(サンボーガ・カーヤ)応身(ニルマーナ・カーヤ)と呼んでいます。

法身(ほっしん)は初めも終わりもない究極の実在である宇宙の真理を表し、仏が衆生の救済に応じて目に見える肉体に変化したのが応身(おうじん)、報身 ( ほうじん ) はその中間領域です。

ウパニシャッドの身体論に対応させると法身は元因身(コーザルボディ)、報身は微細身(サトル・ボディ)、応身は粗大身(グロス・ボディ)となるでしょう。

三つの身体を含んだ全体を目撃しているのが「空なる観照者」本当の自分です。

この三つの存在領域全体を自覚・体現することが、あらゆる精神的な教えのエッセンスとなっています。

すべての現象に実体がなく、いままで思い込んでいた自分が思考が作り出していた夢だったことに気がついたとき、あらゆる偽りが落ちて、究極の実在である本当の自分が輝きだします。

それまで自己は、自分が誰であるかすっかり忘れて、マーヤに飲み込まれて苦しんでいます。


https://lifeskills.amebaownd.com/posts/categories/1007426【アファメーション】


Facebookごとう 孝二さん投稿記事

あの世(宇宙)は、安心感に包まれた心地よい無の世界なのです。

誰もが、同じ無の世界にいるので、「苦しみや悲しみでも体験するか。」と人生苦しみ体験ゲームに参加するためにこの世に生まれてくるのです。

この世が、バーチャルなのは量子力学で証明されています。

この世界は、実は宇宙の意志が作ったバーチャル空間で遊び場なのです。

宇宙(あの世)はすべて統合の世界(幸せの世界)ですが、そこからこの世の分離の世界(苦しみの世界)に生まれて来るのです。人は生まれた瞬間から分離(二元論)の世界に入ります。子供のころから、両親、兄弟、友人から分離の教育を受けます。

良い成績を取れば良い子、悪い成績ならダメな子、我慢したらよい子、我慢できなければ悪い子のように、これは良い自分、これはダメな自分と分離(二元論)して考える教育を受けてきます。

そして社会人になれば、上司、同僚、客から成績が上がれば良い社員、成績が下がれば悪い社員と、人生常に分離の世界にどっぷりと浸かってしまっているのです。

この分離の思想が、すべての苦しみを生み出します。

そして、「ここはダメな自分」とダメなところを切り離せば離すほど、自分のパワーが弱くなり最後には自分の存在価値すらもわからなくなってしまうのです。

この世は写し鏡です。

自分で「ここはダメだ。」とある部分を切り離せば、そのダメな部分を見せつけられることが起こるのです。

例えば、人前で緊張するのがダメだと切り離せば、逆に人前で緊張することが起こりあがり症になってしまうのです。

また他人のあることでイライラすると言うのも、自分の嫌いな部分を切り離しています。

自分のダメなところや嫌いなところを切り離している数が多いほど、イライラしたり苦しんだりすることが多くなります。

そして、切り離している数が多いほど自分自身のパワーが弱くなり自信もなくなり自分の存在価値すらわからなくなるのです。

今の状態は、誰のせいでもなく、あなた自身で自分のダメなところや嫌いなところを切り離しているからなのです。

自分自身で切り離していることを認め、自分自身で切り離した部分を呼び戻しましょう。

自己受容をする

切り離してしまった自分自身を呼び戻す方法を「自己受容」と言います。自己受容は誰でも簡単にできます。

自分のダメなところ、自分の嫌いなところがわかっているなら、その部分を「この私でいいんだよ。」と抱きしめてやってください。

切り離している部分は、5歳の子供を家から追い出しているのと同じです。

切り離している子が「家の中に入れて!」と叫ぶように、切り離した部分があなたに現実として表れて訴えているのです。

ダメなところが、グズグズしているところなら、「グズグズしてもいいんだよ。」

「グズグズしている自分、おいで。おいで。」と呼び込んで抱きしめて愛してやってください。

そうして、受け入れることができたなら、逆にグズグズしている性格は治ってしまうでしょう。

そして、その一面すらも強みとなってあなたのパワーとなるでしょう。

また他人にイライラする度に「自己受容」を行ってください。

自分より優れていると、自慢されてイラっと来たら、人より劣る自分を受け入れていません。

そこで「人より劣っていてもいいんだよ。人より劣った自分おいでおいで。」

と言って、人より劣った自分を受け入れてこれも自分でいいんだと認めてやるのです。

「自己受容」を実践し続ければ、本来のあなた自身に戻りパワーが蘇り人生が楽になって来ます。

そして、人間関係のストレスが全く無くなります。

それは、ドラゴンボールでピッコロ大魔王と神様が合体して凄まじいパワーを持つのと同じことです。

それを統合と呼びます。

アファメーションは自己肯定感が高くなるものを選んでください。

自己肯定感が上がれば、自分の存在価値が認められる現実が起きて来ます。

自分の存在価値がわからないのは、自己肯定感が低いせいです。

この7つの言葉をアファメーションしてください。

1、私は自分のすべてを許す。

2、私は自分を世界一愛してる

3、私は無条件で愛されている。

4、私は自立している。

5、私は幸せ者だ。

6、私には無限の価値がある。

7、私は天才です。

これらの言葉は、自己肯定感を高めるのにとても効果があります。

自己肯定感を高めると、周りの人たちから存在感のあるような待遇を受けるようになります。

この世は、自分の意識している通りの現実が現れます。