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自然に生かされて

2023.07.28 02:59

Facebook竹元 久了さん投稿記事 · 今こそ、縄文時代へ回帰❗

🌷人は自然に生かされている、神は万物に宿る~「縄文文明」はどのようにして生まれたのか~

引用

世界の古代四大文明の始まりは6,000年前です。一方、「縄文文明」は、山内丸山遺跡が6,000年前ですが、上野原縄文遺跡は9,500年前に遡ります。日本列島の人口は5,000年前には最高位の約26万人とのことです。三内丸山集落が75ヘクタール、500人規模ですから、単純計算で600以上の集落が、海岸線が長い、河川流域が多い日本列島の丘陵地、海岸高台などに成立し、日本縄文文明を築いていたことになります。貝塚の数は関東だけで約350あります。

四大文明はどれも人工灌漑畑作と牧畜による食糧確保のため、自然を減耗・破壊することで余剰食糧を拡大しました。周辺から侵入してくる他民族との争いが多く、奴隷農民、支配層(平民、貴族、皇帝)といった社会の階級化が発達し、都市国家型の文明を形成しました。恵みの劣化する自然にどう対処し、支配するかは、つねに支配者の焦眉の課題だったと思います。

一方、日本の縄文時代は後氷期の海進で島国となり、海岸線と脊梁山脈が長く、山の幸・海の幸の自然に恵まれた豊かな土地でした。一方、地震・火山噴火、気候の災害が多々ありました。縄文時代の15,000年を通じて、自然は畏敬と畏怖なるものとして崇め、集落住民が心をひとつに自然と付き合う「自然と農耕循環型コミュニティ社会と人の共生の文明スタイル」が続いたと考えます。縄文時代の15,000年間、多くの集落がありましたが、日本人は戦争しなかったとのことです。人類史上、縄文の日本人だけだったと思います。誇らしいことです。

古代四大文明のDNAはその後、‘神と人間を自然の上に置く’哲学および一神教に引き継がれ、近代合理主義哲学として現代文明の一翼になっています。一方、「縄文文明」のDNAは、‘人は自然に生かされている、神は万物に宿る’多神教の神道と、絆を大切にする思想として引き継がれています。

また、日本人のアイデンティティに世界平和への想いも引き継がれています。

今こそ、縄文時代の原点に帰らないといけない。


Facebook清水 友邦さん投稿記事「古代日本ユダヤ人渡来説」

明治時代の佐伯好郎という学者が唱えた説に秦氏=ユダヤ人説があります。

紀元前722年イスラエル北王国が滅亡し紀元前586年に南王国ユダが滅亡した後12支族のうちのアッシリアに連行された10支族は行方がわからなくなりました。

イスラエルの調査によると10支族の一部はシルクロードの周辺数カ所で見つかったということです。

日本書記、仲哀天皇記に弓月君(ゆづきのきみ)の民1万8670人が渡来したことが書かれています。

弓月王国は現在の新疆(しんきょう)ウイグル自治区北東部にあたり佐伯好郎博士によると住民の大多数がユダヤ教から改宗した景教(キリスト教のネストリウス派)だというのです。そして弓月君の子孫が秦氏とされています。

富士山麓の山梨県富士吉田市に伝わる宮下文書(みやしたもんじょ)は2300年前に中国から渡来した徐福が筆録したとされている古文書です。その徐福の子孫が秦氏とされています。

秦の時代、徐福は始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて神仙が住んでいる蓬莱の島に船出したが戻ってこなかったと中国の歴史書に書かれています。探していた蓬莱山が富士山だったということです。

徐福が若い男女3000人を伴い金銀財宝と五穀の種子と農耕機具・稲作技術・造船技術を持って日本に辿りついたとされる伝説が日本各地にあります。

先日、徳島県美馬市穴吹町の白人神社の奥社とされる磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)を訪れました。

自然の石を積み上げた「五社三門」と呼ばれる3つの門と、5つの祭壇があります。石積みは、平たい石を積み上げたもので、東西方向に20メートル、南北に7メートルの長方形、高さは1.2メートル程あります。白人神社(しらひと)の氏子に七十五人の宮人がいて昔から遷宮、お弓、神輿渡御の行事を行い、決して他家をいれないそうです。

イスラエルの元駐日大使であるエリ・エリアフ・コーヘン氏がこの神明神社を訪れて、ユダヤの礼拝所と同じ造りであることを指摘しています。古代ユダヤ礼拝所は山のほうに向かって礼拝していました。そして常に途絶えることなく火が灯されていたそうで、磐境神明神社がユダヤの神殿の習慣と同じなのでコーヘン氏は驚いたそうです。

アッシリアによってイスラエルの領土から連れ出された支族は異邦人を嫌い信仰を守るためにさらに遠い土地を目指したと第二エズラ書に書かれている所から、佐伯博士は10支族の一部が日本にたどり着いたのではないかと考えたようです。

日本に渡来したごく一部にユダヤ10支族の末裔がいたかもしれませんが、それを根拠に日本人がイスラエルの失われた10部族であると結論している人がいるのには驚きます。

沖浦和光(おきうら かずてる)教授によると日本人のルーツは

1、縄文人の末裔のアイヌ系と沖縄

2、稲作農耕民と漁をして暮らす倭族 

3、マレーなど黒潮に乗って北上した南方系海洋民 

4、朝鮮からの渡来人 

5、中国の江北地方から北九州に渡ってきた漢人系 

6、北方系騎馬民族(新モンゴロイド系・ツングース族)となっています。

日本列島に住んでいる私たち日本人は単一の民族ではなく南方と北方から渡来してきた多様な人々の混血で成り立っているのです。

そしてミトコンドリアDNAのルーツをたどると一人の女性にたどり着きます。

人類は共通の母を持つ大きな家族の一員なのです。


Facebook蛯名 健仁さん投稿記事 【News『真相』2021.7.26】 〜世界八大文明〜

 アメリカ政治学者のサミュエル・ハンチントンは、著書『文明の衝突』の中で、世界文明は8つに分けられ、(西欧、東正教会、ラテンアメリカ、ヒンドゥー、アフリカ、イスラム、中華、日本)日本は独自の文明であると説きました。

中華、朝鮮よりもたらされ生まれた文明ではないということです。

世界四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)と言っているのは、実は世界では中国人、朝鮮人、日本人だけのようです。

(※戦後の中華思想からのプロパガンダによるものです)

「文明の輪郭は言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度、さらに主観的な自己認識から見出される。人間は重複し、また時には矛盾するアイデンティティを持っているために、それぞれの文明圏に明確な境界を定義することはできないが、文明は人間のアイデンティティとして最大限のものとして成立している。だからこそ文明は拡散しても消滅することはなく、ある一定のまとまりを持って存在している。」サミュエル・ハンチントン

◇中華文明

紀元前15世紀頃に発生し、儒教に基づいた文明圏であり儒教文明とも呼ぶ。その中核を中国として、台湾、朝鮮、韓国、ベトナム、シンガポールから成る。経済成長と軍備の拡大、および国外在住の華人社会の影響力を含め、その勢力を拡大しつつある。

◇ヒンドゥー文明

紀元前20世紀以降にインド亜大陸において発生したヒンドゥー教を基盤とする文明圏である。

◇イスラム文明

7世紀から現れたイスラム教を基礎とする文明圏であり、その戦略的位置や人口増加の傾向、石油資源で影響力を拡大している。(トルコは文化や歴史的に西に近い。)

◇日本文明

2世紀から5世紀において中華文明から独立して成立した文明圏であり、日本一国のみで成立する孤立文明。

◇東方正教会文明

16世紀にビザンツ文明(東ローマ帝国)を母体として発生し、正教に立脚した文明圏である。

◇西欧文明

8世紀に発生し、西方教会に依拠した文明圏である。19世紀から20世紀は世界の中心だったが、今後、中華、イスラム圏に対して守勢に立たされるため団結する必要がある。

◇ラテンアメリカ文明

西欧文明と土着の文化が融合した文明、主にカトリックに根ざしている文明圏である。

◇アフリカ文明

アフリカ世界における多様な文化状況に配慮すれば、文明の存在は疑わしいものであるため、主要文明に分類できないかもしれない。

◇その他

エチオピアやハイチとイスラエルはどの主要文明にも属さない孤立国である。

モンゴル、チベット、タイ、ミャンマーなどは仏教文化として括られているが積極的な行為主体とは考えていない。

■参照: https://ja.m.wikipedia.org/.../%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81...

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 日本人は、DNA分析によりルーツが解明されています。大陸からの渡来人と海からの海洋人たちの混合種です。

 そして何よりも約16,500年前から12,000年以上続いてきたと言われる縄文文明に、新たなる要素が次々と加わり、全く独自の日本文明を築いてきた史実があります。

 わたしたちは、世界八大文明のひとつである"日本文明の子孫"というアイデンティティを共有しながら、新たな気持ちで生きてゆく時代にあるのではないでしょうか?

 そして共に、日本人の自虐史観からの脱洗脳にも期待したいと思います!


Facebook横山 航宜さん投稿記事

猿田彦の鼻はなぜ男根なのか?それは、ヒコとは火の凝りであり、火が凝ることで男根となる。サルタヒコとは、真の火の輪廻転生する魂の事で、男の魂である。

この初代サルタヒコこそ、天太玉命と天児屋根であり言靈を組んだ神とフトマニのミタマを組んだ神である。

つまりカタカムナはここから生み出された。

輪廻転生し、世開けの晩に天之御中主を、芽吹かすものこそサルタヒコである。

天之御中主、カタカムナとは同意語である。

根を鎮め、鎮魂し、新たに芽吹き、正中をつかさどる。

イヤサカ

命 アヤくみ さきわかれ 搦みあう

まさに国宝級の『坤の金神』に命が吹き込まれようとしています。

艮の年に坤、まさに艮坤のコンコン様。

アマテラスを言靈解、天をめぐる火垂と水氣(ヒダリミギ)を併せ持つ靈止(ヒト)が降臨し地上に住まう。

つまり天を巡るヒトの降臨を地上でお迎えする儀となる。

イハトヒラキ

7/29 高千穂天岩戸神社にて御奉納

世開けのばんにツル +(列なり降る)とカメ ×(火水搦む芽)が統べった。 米

うしろの正面だ〜れ  (真の火によって輪廻転生した魂は降る)

天之御中主の顕現。

正中をつかさどる艮坤。

世界人類幸(さいわい)の一粒万倍


「日本のヒミツとホントを語る」ワークショップに参加してきました。

今回のテーマは日本の「聖地ネットワーク」でした。

天のライン、地のライン、人のラインの説明の後 伊勢、出雲を結ぶ富士山ラインの話があり

フォッサマグマ上の聖地とそれをつなぐ天・地・人の網の目のようなネットワークが 神々の護国につながってきたが 祭儀が廃れ続けてきた今日、日本の未来に憂いを感じるとのこと。

(天・地)のネットワークは不動に近いが 人のラインは 実にもろく 昔の人の叡智も無視され続け富士の噴火予測が象徴するように 亡国の危機さえ感じる。

聖地を行き来する巡礼こそ 人のラインをつなぐ祭りであり、みなさんが旅をする時 方位磁石を携えて 聖地ライン(日の出入りのライン)を意識し 護国の祈りをして欲しいという趣旨のものでした。

聖地ネットワークをまとめていたら 出雲と天照(北の大陸と南の大陸、陰と陽)の対立が富士の噴火をぶのではないか?と考えてしまいました。

理由その1

以前出雲巡礼の時 伊勢神宮に出雲の神も祀られたと聞いた記憶があります。

もしかしたら 出雲の神は 和歌山県の日前国かたす【(ひのくま国かたす)神宮:熊野三山がご神体】に祀られ 明治時代の国策により熊野詣が廃れたと考えられないでしょうか?

和歌山と出雲は深い関係にあったことは下の資料からも十分 考えられます。

その2

中央構造線は東アジア大陸と東南アジア大陸の 大断層で 出雲側は東大陸側のエネルギーの神、「コノハナヤサクヤヒメ」富士ライン側は東南アジアのエネルギーの神。

【鹿児島県の笠沙の岬(笠沙の岬の地名は「ニニギノミコト」(神武天皇の曽祖父)と「コノサクヤヒメ」の出会いの場で有名な地。)

四国の足摺岬、室戸岬の3岬をつなぐと朝熊ケ岳(あさまがだけ・伊勢神宮 奥の院)から富士(あさま大社)に至る。】

その3

地質も 出雲側は世界でまれな 墓石=花崗岩・御影石が埋もれた大地→黄泉の国支配

「コノハナヤサクヤヒメ」側は緑の蛇紋岩が産出。

大陸側は 最近まで裏日本といわれ 過疎化が憂われるほど。

その4

「鳥取の氷ノ山、蒜山(ひるせん)、大山(だいせん)→本来の修験道のメッカ

島根 出雲:出雲は熊野の日嗣(霊魂を継ぐ) 空海はそれを知りつつも 熊野巡礼よりも 四国を巡礼地として選んだとのことです。

その5

神無月の時も「エビスさんは 出雲にいらっしゃっていないから そう呼びたくない」という 話を 小耳にはさみました。

神々が出雲に集まるという謂われは 廃れたのでしょうか?

二つの富士山ラインは 熊野詣・軽視から 陰陽のバランスを失い 富士山噴火の危機が訪れたと考えられないでしょうか?

熊本・大分地震の時に指摘された情報ですが この中央構造線上に 原子炉が建設されている

そして地震大国日本は原子力発電所が世界で最も多い国