「宇田川源流」【日本万歳!】 餃子という中国料理を日本の名物に変えた日本人の技
「宇田川源流」【日本万歳!】 餃子という中国料理を日本の名物に変えた日本人の技
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人の素晴らしいところや日本が気づいていないけれども、称賛されているような世界の人々の記事を見つけ、そのような内容の中から、日本のすばらしさを発見し、そして、その素晴らしさが日本人のどこから来るのかということを皆さんにご紹介する連載である。もちろん、日本人のすばらしさは、その称賛された企業や個人の単体のものではなく、実は日本人のほぼ全員が持っている「国民性」や「生活習慣」、そして「無意識にやってしまっていること」に由来することが多い。その内容を考えて、私たち普通の日本人にもその内容がしっかりと存在することを身ながら、私たちが日本人として、誇りを持って生活できるように考えてこの連載をしている。
さて、日本が海外に多く称賛されているのは、「日本料理」「アニメ・ソフト産業」「マナー」が三大日本の良いところではないか。いずれもこれらの日本のすばらしさは、日本人が作ったものではなく、日本人の毎日の生活をいろどっているものである。何か「わざと作っている」というようなものではなく、日本人が毎日普通に使っているものであり日本人が海外のために何かするというようなものではない。わざと何かをするというような話ではない。そのような「作り物」であれば、何か違うものがある。しかし、そういうっものではなく、日常に使っているもので、その中で日本人から切っても切り離せないものが出てきている。
その中の一つが「海外からの輸入した日本料理」なのである。
日本の餃子を「楽々全部食べた」 世界水泳出場の豪選手が絶賛「すごく美味しい」
福岡で開催されている世界水泳(テレビ朝日系で中継)は連日、各国の選手が熱戦を繰り広げている。そんな中、男子10メートル高飛込に出場したオーストラリア代表のサミュエル・フリッカーが、SNSで日本のカジュアルな雰囲気のレストランを訪問。炒飯や餃子を食べ、「すごく美味しい」「楽々全部食べた」などと絶賛している。
トレーの上には炒飯やスープとともに、山盛りになった餃子のお皿が載っている。右手で箸を持ち、慣れた手つきで炒飯を口に運ぶと、スープを飲み右手でカメラに向かってサムズアップ。そして餃子の皿に箸を伸ばすと、器用にタレに付けて食べていく。満足そうな笑顔を浮かべると、再びカメラにサムズアップした。
フリッカーは自身のTikTokに映像を投稿し、ナレーションと字幕を入れて説明。箸を使って食べるシーンでは、「僕とここ日本で餃子を食べよう。今回のこれはファストフード系の餃子だけど、僕はすごくお腹が空いている。スプーンをくれたけど、文化に馴染むためにお箸を使ってみようと思う」と語り、「お米はすごく美味しくて十分だ。10点満点の7点だね」と満足した様子を伝えていた。
スープについても「毎食スープが付いてくるのがうれしい、これもすごく美味しい」と絶賛。餃子については「15個ぐらい頼んで楽々全部食べちゃったよ」とコメントしており、最後に「ピクルスのようなものもついてきて挑戦してみたけど、あまり好みじゃなかった、最低ではないけどね。まあ、餃子が間違いなく僕のお気に入りだ。また来るよ」と締め括った。
21歳のフリッカーは、これまでも寿司店やドン・キホーテを訪問するなど、日本を満喫する動画を投稿。21日の男子10メートル高飛込の予選に出場している。
(THE ANSWER編集部)
2023年7月21日 10時56分 THE ANSWER
https://news.livedoor.com/article/detail/24650847/
カレーライスという料理は、実はインド料理でもネパール料理でもない。そもそも日本のカレーライスに関して言えば、その由来は様々に言われている。私信じているのは、明治時代になって海軍力を強めるためにイギリスに留学した日本の海軍軍人が、イギリスの植民地の料理として、食材の調整のために作られていた「海軍カレー」を習ったことに由来するという。そのうえで、海軍として船の中の食材を無駄にしないために、そのカレーの文化を日本に持ってきた。主にその中心人物となったのが東郷平八郎であるといわれている。そして、そのカレーが海軍から一般に広まったという。つまりその由来から言えば、インドのカレーとは全く異なる「イギリス海軍料理」を「日本流にアレンジした」ということになるのである。現在ではココ一番館などが、本場のインドに進出して「こんなにおいしいものはない」というような評価を得ている。
実際にこのほかにも「ラーメン」も同じで基本的には中華料理の中には存在しない。あるとすれば「タンメン」くらいのものである。よって中国に行って「ラーメン」などと注文してもそのようなものは存在しない。何か不思議そうな顔をされたことを思い出す。実際に、中国に言えば「ラーメン」も「冷やし中華」も、「日本料理店」で出てくるメニューである。
では「餃子」はどうか。
餃子はあるが、煮た餃子である。焼き餃子は基本的には存在しない。餃子そのものを大きな鍋でゆでて、そのゆでた餃子をニンニク醤油につけて食べる。これが中国東北部の主食である。要するに日本で「餃子」といわれる焼き餃子は、中国には存在するのである。要するに「焼き餃子」は「カレーライス」や「ラーメン」と並ぶ日本料理なのである。
その日本料理の焼き餃子を、世界水泳できたオーストラリアの高飛び込み選手であるサミュエル・フリッカーが「すごく美味しい」「楽々全部食べた」などと絶賛している。
ほかの国の料理があり、それを素晴らしい料理にする。日本料理というのは、まさにそのように「そこにある素材をしっかりとつかい、そして生かす」ということになる。その日本の素晴らしさは、まさにほかでも同じだ。「共生する」「生かす」ということが大きな内容になる。まさにその内容こそが、日本のすばらしさになるのである。
そして、オーストラリアのフリッカー選手がそのことをよくわかってくれたのは、非常にうれしいことではないか。