平静の心
https://www.yuki-clinic.jp/diary/diary-371/ 【平静の心(Aequanimitas)】より
2017年7月18日、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、105歳で永眠されました。予防医学、終末期医療の普及や、医学・看護教育にも尽力された、日本の医療界の巨星でした。日野原先生の信条は「平静の心」をどんな状況でも持つことでした。先生が敬愛された、ウイリアム・オスラー博士は、ペンシルベニア大学を去る時に卒業式で医学生へ告別講演されましたが、その時の講演の題が「平静の心」で、医師としての心構えを語られています。
内科医・外科医を問わず、医師にとって、沈着な姿勢、これに勝る資質はありえない。
沈着な姿勢とは、状況の如何にかかわらず冷静さと心の落着きを失わないことを意味する。嵐の真っただ中での平静さ,重大な危機に直面した際に下す判断の明晰さ、何事にも動じず,感情に左右されないこと、あるいは「粘液質」を持つことである。
悲しいことだが、諸君は将来、失望あるいは失敗に見舞われることもあるだろう。もちろん、この職業につきものの心配事や不安を免れることはできない。だが、たとえ最悪の事態に陥っても、勇敢に立ち向かっていただきたい。
あの良き古のローマ人の座右の銘「平静の心(Aequanimitas)」を胸に抱き、これからの闘いの日々を歩んでいっていただきたいと思う。(平静の心 オスラー博士講演集:日野原重明 仁木久恵 訳より引用)
日野原先生の人生は劇的で、まさに波瀾万丈のものでした。1932年、京都帝国大学(現京都大学)医学部に入学されましたが、2年生の時に肺結核に罹患したため、1年間休学して闘病されました。しかし、徴兵検査では肺結核、結核性胸膜炎のために召集されずに済んだとのことです。1941年からは聖路加国際病院に内科医として勤務されています。1945年 3月10日、東京大空襲では、1000人もの負傷者が病院に収容されましたが、人員・物資不足のなか、大勢の命が失われ、戦争の悲惨さを体験されています。
戦後の10年間、聖路加国際病院は、GHQに接収されましたが、院長に頼んで、病院の図書館へ出入するための許可証をもらわれています。そこで、オスラー博士の講演集「平静の心」に出逢い、オスラー博士の医師としての心得、生き方に感銘を受けられています。そして、アメリカ医学を学ぶため、1951年から米国エモリー大学に一年間留学されました。
1970年3月31日、日野原先生は「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれています。オスラー博士の「医師はどんな時でも平静な心をもつべきだ」という言葉を思い出し、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」(マタイによる福音書 8章26節)と唱えて自分を落ち着かせていたとのことです。「この飛行機は我々がハイジャックした」という犯行声明に対し、「ハイジャックって何ですか?」と犯人達が乗客に訊かれて答えに窮した時に、日野原先生は彼等に替わってハイジャックの説明をされたそうです。最後に「しかし、ハイジャックする人が、ハイジャックの意味も知らないとは困ったもんですね」と言われると、機中の皆が大爆笑したとのことで、日野原先生の面目躍如です。人質から解放されて韓国の金浦空港の土を靴底で踏んだとき、感謝の念とともに「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と強く感じられています。
1995年3月20日、「地下鉄サリン事件」が勃発します。当時、聖路加国際病院長であった日野原先生の判断により、事件後直ちに当日の全ての外来を休診、予定手術を中止として640人もの被害者を受け入れられました。事件の3年前、1992年に日野原先生は院長に就任されましたが、東京大空襲で十分な救助活動ができなかった経験から、大災害や戦争の際など大量被災者発生時に対処出来るように、壁に酸素配管をした広大なロビーや礼拝堂施設を備えた新病棟を建設されていました。多数の患者を収容し治療することができたのは、日野原先生の先見の明でした。後日、「病院は時として戦場になる。あの事件をきっかけに、みんな心に刻んだものと感じている」と話されています。
2017年3月中旬、日野原先生は脱水症状にて聖路加国際病院に入院されましたが、「死は生き方の最後の挑戦」と言われ、延命治療を望まれず、1週間で退院されています。「『ありがとう』のひと言は、残される者の心をも救う、何よりの遺産です」の持論通り、「ありがとう」を繰り返し、家族に見守られながら有終の美を飾られました。最期まで「平静の心」を持って人生を全うされたと思います。まさに有言実行で、見事な大往生でした。
日野原先生は戦争と平和を経験され、事件に巻き込まれながらも、生涯現役として活躍され、最期は在宅にて平穏死を迎えられました。波瀾万丈かつ充実した理想的な人生であったように思います。医師の使命は何か、人生をどう全うすればよいか、日野原先生の生き方が一つの道標になるように思います。どんな時にも「平静の心」を持って医師の努めを果たしたいものだと思います。
(更科医師会報第17号)
https://www.yuki-clinic.jp/diary/diary-369/ 【平静の心(その2)】より
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、105歳でお亡くなりになりました。予防医学、終末期医療の普及や、医学・看護教育にも尽力された、戦後日本の医療界のトップランナーでした。日野原先生が敬愛する、ウイリアム・オスラー博士の言葉は、医師のバイブルと言われています。
私には理想とするものが三つある。
一つは、その日の仕事を精一杯やり、明日について思い煩わないことである。
第二の理想は、力の及ぶ限り、同僚や自分がケアする患者に、黄金律(己の欲するところを他人に施せ)を実行することである。
第三の理想は、たとえ成功しても謙虚な心をもち、慢心することなく友人達の愛情を受けることができ、哀しみの日が訪れたときには人間に相応しい勇気を持って事に当たることができるような、そういう平静の心を培うことである。
(平静の心 オスラー博士講演集:日野原重明 仁木久恵 訳より引用)
日野原先生は「平静の心」の体現者でした。「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれた時には、オスラー博士の「医師はどんな時でも平静な心をもつべきだ」という言葉を思い出されて、犯人と対応され、病人の救護など沈着冷静な行動を取られました。また、「地下鉄サリン事件」が起こったときにも、直ちに診療を止めて、被災者の救護に全力を投入されました。我々医師は、どんな状況においても、心の平静を保ち、知識と経験から正しく判断し行動したいものです。
(更科医師会報第17号:編集後記より)
https://ameblo.jp/yumikuru43/entry-12733708437.html?fbclid=IwAR3pCOEW6YczVYazaZuBM6hNeiR62g7Etu4ZyMvmrahVAIFtwlvtGncQVRQ 【悪魔会議~頑張る自分を見つめることの大切さ】より
こんばんは、ホリスティック心理カウンセラーの春風ゆみです。
今日は悪魔会議についてお話しします。
このお話しは阿部敏郎さんという方の『さとりの授業』という本に書かれていた内容です。
悪魔が人間をいつまでも不幸にしておくために、人間が神の子だと気づかないようにして、
不幸にさせるためにこれまで人間界で、どのような方法を使ったのか?を悪魔の大統領が、
3人の次期大統領候補の悪魔に聞いて、一番いい方法を使った悪魔を次の悪魔の大統領にするという会議です。
1人目の悪魔は
エイズやインフルエンザのウイルスをまき散らし、さらに狂牛病も付け加えて、欲深い人間が肉を食し、性欲に溺れる限り、これらの恐怖から逃れられないようにしたと答えます
2人目の悪魔は
人間に暴力と破壊の楽しさを教えて、映画やゲームのような娯楽に悪魔性を持たし、子供の頃から洗脳し、人を殺しても何とも思わない大人を養成したと答えます。
そして3人目の悪魔は
自分は聖者になりすまし、人間に「あなたは神の子だ」と言って、どんなに苦しくても頑張るのだ、そして希望を持ちなさい、より高き自分を目指して、いつの日か完全になれば神の子だと知ることができるだろうと言ったと答えました。
その3人の話を聞いた悪魔の現大統領は3人目の悪魔こそ、完璧な事をしたと言ったのです。
人間はウイルスも暴力もいずれ制御するだろうけれど、人間は永遠に自分を高め続け、永遠に「いつの日か」を待ち続けることで、今の幸せに気づくことができず、幸せに永遠になることができないと3人目の悪魔を次期大統領にしたということです。
精神世界を学ぶと、今、ここにある幸せに気づかないと永遠に幸せになれないと気づかされます。
頑張ること、努力すること、必死になることはよく考えてみると今の現状では満足できないということであり、人は今のままではいけないと思い、頑張るのです。
今の自分の不満足感からきているのです。
人間を不幸につなぎとめているのは、「今のままの自分では幸せになれない」と思う心です。
「いつの日か幸せになりたい」という思いがあってもいつの日かは、来ないのです。
幸せは、自分が思う心です。よく言われることですでが、コップに半分水があったとき「これだけしか残っていない」と思うのか「こんなにも残っている」と思うかで人生が大きく違うのです。
看護師をしていると本当にがんばって働いている人が多いです。
日々頑張って働いて、そして休みの日は自己啓発セミナーに参加して、上を目指そうとしている人が多いと感じます。
多くの人が頑張ること、努力すること、必死になることが好きであると思わされています。
頑張らないとダメだ、頑張っていない人間はダメな人間だと思う社会がありました。
けれども、頑張らなくてもいいのです。この本を読んで数年前まで頑張ることが大好きだと思っていた私は笑ってしまいました。
頑張るということはあなたが悪魔の手の中にいることです。頑張って働いて、しんどくなったり、職場で違和感を感じている人は、一度ゆっくり、自分を見つめてなぜしんどいのに、そこまで頑張ってしまうのか?を振り返っていただければと思います。
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Facebook田中 宏明さん投稿記事
今日久しぶりに本当に久しぶりに身近に不機嫌な人が現れました
いつもはとても親しくしている大先輩なのですが 今日はもう誰かれ構わずに不機嫌満開だったんですね まぁめちゃくちゃ暑いしね^ ^
もちろん僕にも 刺々しい雰囲気で 接してこられます
僕も最初は あまりにも久しぶりの 状況に少しうろたえて しまったんですが すぐに意識を内側に戻します
そして この出来事を通して 自分の中にある 普段はお目にかかれない 感情を見つめるチャンスだと すぐに気を取り直しました
この意識に戻れたら 後はゲームみたい なものです
まずはゆっくりと 身体に起こる感覚を感じます
そしてハートが 感じるそのままを ただ感じます
「何でこんな態度をとられなきゃいけないんだ」「おれは何もしてないのに」そんなお決まりの思考の声にも注意深く気づいているようにします
顔の筋肉に微かな強張りを感じます
この世界はやっぱり不調和なのかもしれないと被害者意識のような感覚も生まれてきます
そんな風に外側では黙々と作業を続けながらもくまなく自分の内側を見つめ続けます
そうしてしばらくしているとある瞬間に気づきが訪れました
それは以外にも「おれは今怖いんだ」という気づきだったんです
そうかーこれは怒りではなく怖れだったんだなぁとわかったのです
では一体何が怖いんだろう?「調和が取れていない状態が怖い」
そうかーでは何故それがそんなに怖いんだろう?「人に嫌われたら生きづらくなる」
そうかーでも人に嫌われたらなんで生きづらくなるんだろう?
「小さな子どもの頃 無力だった自分は親の気分を損ねないように、親や社会に従わなければ生きていけなかったから」 なるほど〜この怖れにはそんな根っこがあるんだな
そりゃー怖いはずだ だって生き死にがかかってるんだからねと、この辺りまで来たら
もう心はずいぶんと軽くなっていました
なぜなら相手を通すことで自分の中にある怖れに気づくことが出来たとわかったからです
そしてその瞬間もう相手は消えてしまっています
自分自身の中にしまいこまれていた感情がその状況に反応しているだけに過ぎないと、完璧に捉えているからです
そしてその気づきが人生の舵を、他人から自分に戻してくれます
その安心と共に自分の内側にある怖れが一つ消えていくのを感じます
明確な意識に捉えられた感情は例えそれがどんな根深いものであっても簡単に消えてしまうのです
そして結果的に今日は不機嫌な相手のおかげ様でまた一つ成長出来ました^ ^めでたし、めでたし^ ^チャンチャン✨とまぁこうやってこれから先もこんな感じでこの人生ゲームを楽しんで行こうと思います^ ^
皆さんも今日一日色んなことがあったかもしれませんが決して深刻にならないでくださいね^ ^全ては自分の中で起こっているんだけなんですから✨🌈😆
あなたを苦しめる相手なんて本当はいないんですから^ ^
てなわけでこれからも気楽に生きましょう^ ^ではまた✨らぶ💓