努力すればいいのに
偶然目にとまったので話題にさせていただきますが、こういった人や場面に出くわしたことが今までに何度もあります。
なんで最後までやらないの?
世の中の人間が誰一人としてできない不可能の知恵の輪でもありませんから、アクションを起こせば結果はついてくると思うのです。
もちろん、そのためには知識を得ること、訓練すること、経験を積むこと、時間をかけることなどが必要になる可能性が高いです。
そこまでする価値がないと言うなら、初期段階でやめればいいし(できなくても問題ないと書かれているし)、そんな結末になることはある程度最初からわかると思うし、そもそも僕が一番思うのは、
そういったことをなぜここで言うのか。
ああ、クレーマーってこういうことなのか、と思いました。結局、最後までやろうとせずに面倒になって諦めたことを、商品や第三者へ向けてクレームをつけることでバランスを保とうとしているのですね。
共感者が欲しい、同情して欲しい、これなんでしょうね。
別にこの方に恨みがあるわけではないですし、どこのどちら様かもわからないのですが、こんな言い方する人多いな、と思ったのでお借りしました。
ツイートの先を読ませていただいたら、「インターネットを使いこなしている人はとても少ない」とか最終的にはセットアップができない人が世の中のほとんどだとか、結局全部自分のレベルが平均、中心だと言っておられる。
ああ、言っちゃった。できないことを棚に上げて、自分の理想が叶わないからと商品や第三者のせいにしている。
もし何もしなくてもスイッチひとつで見られるようになったら、「こんなの頼んでない」「情報が多すぎる」「過剰サービスだ」とか言うんですよ。
こうした発想って、朝になると起きなくても着替えや、洗顔、メイク、髪を整えるなどが全自動でできて、寝たままベッドごと会社にスーーーーって運んでくれるようなドラえもんの道具を濫用するのび太くん的方向性を感じます。
努力すればいいのに。
工夫をする知恵を使えばいいのに。
最後までやればいいのに。
最後までやれば、それが知識となりスキルとなり、自分の成長に繋がるわけで、
結果、結論まで達成する価値がないと言うのであれば、
最初からやらなければいい。
努力や工夫をたいして使わずに、自分の今のスキルでできなかったことを
難しいと商品やメーカーに対して「クレーム」という形で、
SNSに投稿してしまう。
共感が欲しいのか、
同情して欲しいのか、
自分が悪くないとでも言いたいのか。
言わなければいいのに。
努力すればいいのに。
荻原明(おぎわらあきら)