クック物語(2)
クック望遠鏡が、天文学と無縁の海洋気象台に設置されるにあたって、重要な役割を担った人物の一人が、当時中央気象台と海洋気象台の台長を兼務していた岡田武松氏(1874-1956)でした。
海洋気象台は、当時文部省が管轄していました。海洋気象台は、研究機関としての役割も担っていました。そこで、時刻や太陽活動と気象の関係を研究するために、海洋気象台の目玉となる望遠鏡の購入を決めました。
もう一人は、太陽物理学が専門の天文学者、関口鯉吉氏(1886-1951)です。関口氏は1936年(昭和11)、第4代東京天文台長になります。関口氏は留学先のイギリスで、クック30cm望遠鏡を使って太陽の研究をしていました。そこで、留学先で慣れ親しんでいたクック望遠鏡を購入する機材に選択したようです。
順調に活躍するクック望遠鏡に、最初の試練が訪れました。
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、阪神地方を襲った阪神大水害(死者616名、負傷者1011名、家屋の流失1410戸、水没854戸、全半壊8653戸、浸水家屋79652戸)です。海洋気象台でも、461.8mmの雨量を記録しました。
海洋気象台から、南西に1kmの所にある雪御所(ゆきのごしょ)公園(雪見の御所とも言われ、平清盛の邸宅跡と言われています)は、水害が最も激しかった所として、現在慰霊塔が建てられています。
石井川と天王谷川の合流地点より南の荒田町3丁目付近の様子です。人家の上に川ができ、荒田町は全町浸水、行方不明者は200名にのぼりました。
神戸港と国鉄(現JR)三ノ宮駅を結ぶ主要な道路にも、濁流が押し寄せました。
(路面電車の周囲を覆う水害による流出物)
神戸の山の手に海洋気象台はありました。未曾有の大災害であった阪神大水害から、クック望遠鏡は守られたのでした。
(参考文献)
写真アルバム神戸の150年,山田恭幹,樹林舎,2017
こうべ市制100周年記念,神戸市,1989
岡田武松,Wikipedia ,2023/731閲覧
関口鯉吉Wikipedia ,2023/731閲覧