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錬金術

2023.07.31 07:34

https://www.amorc.jp/michael-maiers-mariaprophetissa/?fbclid=IwAR24loQfpD4wGbyLRzoOYL0SO9D9SyybH01599SA0Hd2Xe0MBwVQ2IHTJU4 【ミハエル・マイヤーの預言者マリア  Michael Maier’s MariaProphetissa】より

ピーター・ビンドン  by Peter Bindon

この記事の著者、ピーター・ビンドンフラターは人類学と植物学の専門家です。彼は長年、バラ十字会のフランス本部の機関誌『バラ十字ジャーナル』誌(https://www.rose-croix.org/revues-rose-croix/)の編集委員として活躍され、アメリカの英語圏本部の機関誌『バラ十字ダイジェスト』誌にもたびたび寄稿されています。バラ十字公園で開催された「単純な見方の中に隠されているもの」という秘伝哲学のシンポジウムでは、「古代の錬金術の図表-それは現代の人間のソウルを映す鏡か」という論文を発表しました。ピーター・ビンドンフラターは、本会のオーストラリア・アジア・ニュージーランド担当英語圏本部のグランドマスターを長年務められました。

この記事では、1617年に発行されたミハエル・マイヤー(Michael Maier)の『黄金の卓の象徴』(Symbola Aurae Mensae)の表紙裏のページに描かれている有名な女性錬金術師である「預言者マリア」とその象徴的意味について、ピーター・ビンドンが解説します。

錬金術の古代の文書を研究している現代の著作家によれば、現存する錬金術の著作は2つのグループに分類できます。第一のグループは、自然界の驚異に心を動かされ、関心を持った自然哲学者である、象徴主義の錬金術師によって書かれた著作です。もう一方のグループは、卑金属を黄金に変えることに努力したが成功することなく、面白おかしく「吹く輩」(puffer)と呼ばれた人たちの著作です。後者は物質的な富を得ることにしか関心がありませんでしたが、前者は、意図的に創造されたと考えられるこの世界において、人間自身が占めるべき位置を理解し、その位置での役割を果たすことに意義を見いだしていました。これは現代でも同じです。物質の世界で生きることの複雑さを理解しようと努めながら、内面的な成長や神秘学的な意味での進歩を常に進めようとする人たちがいます。彼らは、充足感と満足感を第一の目標にしています。その一方で、物質的な豊かさという点に関してだけ、成功と満足を求める人もいます。しかし、この分類には、過去の錬金術師を分類するのに用いた先ほどの方法と同じ欠陥があります。なぜならいずれの場合も、2つの極端な場合の間に、数多くのグループが存在しているからです。人間の状態にはあらゆる可能性があり、それをたった2つの種類に分けようとすることは、あまりにも単純なやり方です。錬金術の実践として歴史上行われた多様な取り組みのすべてを正確に分類するのは、ほとんど不可能なことです。これが、錬金術の著作の意味を理解するのが困難な理由なのでしょうか。現在「化学」(chemistry)と呼ばれている学問は、極めて明確な科学のひとつであり、錬金術は化学の基礎になったにもかかわらず、それはなぜなのでしょうか。その答えは、錬金術というテーマの複雑さにあります。

マンダラのような図で表されたり、定式的な文句によって示されたりする錬金術の個々の要素には、ほぼ同等な意味を表す数多くの別の図案があります。錬金術の象徴をリストアップすることは比較的簡単なことですが、深い探究を行っている研究者は、それぞれの象徴にはただ一つの意味があるのではなく、多くの意味があることを発見します。ですから、リストアップしたそれぞれの象徴で、適切な意味はどれなのかを定めることが問題になります。スイスの心理学者カール・ユング(Carl Jung)やアメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell)の著作を読まれた方々なら、おわかりになるように、個人が象徴を解釈する方法を分類するのは常に困難なことです。幸いなことに、過去の錬金術師たちは、個人としては、象徴と意味の多数の組み合わせの中から、1つか2つだけを選んで使用していました。そのおかげで、錬金術の象徴を分類しその意味を解明する作業は、いくらか容易になっています。とはいえ、錬金術の図案には数多くの解釈の可能性があります。

預言者マリア(訳注)は、「ユダヤ人のマリア」、「モーセの姉妹」などの名前でも知られていますが、バラ十字会員にとっては「グノーシスの伝統のマリア」の名でよく知られています。彼女は『錬金術における預言者マリアの実践』(Practica Mariae Prophetissa artem alchemicam)という題の著作を書いたとされていますが、この著作は実際には、アラビアが起源である可能性があります。ミハエル・マイヤーを含む多くの錬金術師が、この著作を参考にしました。1617年に出版されたミハエル・マイヤーの『黄金の卓の象徴』(Symbola Aureae Mensae)の表紙裏のページには、マリアを描いた挿絵が掲載されています。この挿絵の中で、マリアは「宇宙の山」の頂上に落ちて芽を吹いた苗(ルビ:なえ)を指さしています。この山に登るためには多大な努力が必要であることから、おそらく古代の人々はインスピレーションを受け取り、この山の姿と、錬金術における変容の過程を完了するのに必要なエネルギーを閉じ込める炉を同一視したのでしょう。宇宙の山の頂上は、「賢者の石」(Philosopher’s Stone:哲学者の石)がある場所です。宇宙の山の上では、種子に命が吹き込まれ5つの花が咲きます。それは、1年のうちの適切な季節に生命が再生することを象徴しています。花という象徴については、この記事の後半で、錬金術の用いる比喩について、さらに詳しく見ていくときに検討します。

(訳注:預言者マリア(Maria Prophetissa):4世紀の錬金術師であると推測されている。ケロタキス(kerotakis)と呼ばれる蒸留器を発明した。現在でも湯煎用の二重鍋には、フランス語ではベン=マリー(bainmarie)など、多くの国で彼女の名前が付けられている。)

ここでは、なぜ花が5つなのかについて考えてみましょう。5は人間を表す数であり、5つの花は再生の活動を象徴しており、この挿絵の作者が強調したかったのが、この再生です。では、なぜ5という数が人間を表しているのでしょうか。レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」という有名なスケッチを思い出していただければ、その理由がおわかりになるでしょう。その絵には、頭、両手、両足の5つの部分で円と正方形に接している人体が描かれています。両手と両足の5本の指や、五感も同様に、5という数の象徴的な性質を際立たせています。4本の腕を持つ十字の中央に置かれた5枚の花弁を持つ赤いバラのことを、十字の4本の腕が象徴する四大元素の上位にあるもの、つまり第五元素(訳注)の象徴だと、錬金術師や神秘家は考えていました。神秘哲学者の一部は、5という数には、不吉な、あるいは邪悪な意味さえあると考えていました。しかし、錬金術師は必ずしもこのような解釈を採用してはいません。この意味は、カバラの解釈におおむね由来しており、5日間という空白の日数に関連している可能性を示唆しています。5日間とは、古代エジプトの人々が、自分たちの暦の1年の360日という日数を、約365日である太陽暦の一年に一致させるために必要とした日数にあたります。預言者マリアの挿絵には、宇宙の山の上下に2つの壺が描かれています。バラ十字会の解釈では、この2つの壺はそれぞれ「空気」と「土」を象徴しているとされています。つまり、創造されたすべてのものの源である四大元素のうちの2つです。この2つの元素が混ざりあってひとつになり、「下にあるものは、上にあるものに似ている」(as above, so below)という原理を説明しながら、預言者マリアは、一元性と二元性に関する錬金術の原理のひとつを次のように厳かに語ります。「1つは2つになり、2つは3つになり、3つ目のものから4つ目のものである〈一なるもの〉(One)が生じる。」錬金術の、半ば魔術的であり半ば宗教的な観点から、この言葉をさまざまな意味に解釈することができ、聖書の天地創造の繰り返しだとすることもできます。

(訳注:第五元素(quintessence):クインテセンス。第5の本質を意味するラテン語。四大元素を超えて存在する宇宙を構成する本質。)

ウィトウィウス的人体図

その解釈については各々の読者の皆さんにお任せすることにします。ただ、数の象徴的意味についてのバラ十字会のシステムでは、偶数は女性を意味し、奇数は男性を意味することだけを紹介しておきましょう。錬金術の深遠で分かりにくい言葉には、別のレベルでの意味がありますので、これから論じていきます。預言者マリアは、1つの特別な物質の2つの側面の結合に関わっています。彼女は、「スペインから樹脂(gum)を、白い樹脂と赤い樹脂の2つの樹脂を取り出しなさい。そして、真の結婚、樹脂の樹脂との結婚で、この2つを結合させなさい」と言っています。これは何を意味しているのでしょうか。彼女が述べた物質の色に、この言葉を解釈するヒントがあります。これは、錬金術の「白の女王」と「赤の王」を意味しています。また、樹脂を表す錬金術の象徴は、現代のアルファベットの「g」の文字に似た2つの小さな文字を横に並べ、それを小さい十字で結び、その十字から小さい三角形がぶら下がっているという奇妙な組み合わせになっています。この象徴は、錬金術のある過程のことを強く示唆しており、預言者マリアの挿絵を読み解こうとするのであれば、この過程のことを知らなければなりません。

この絵に隠されている寓意的な意味は、2つの壺から立ち上る蒸気の雲が形作る図形によって、さらに強調されています。この図形は2つの正三角形が結合したものだと解釈することができます。一方の三角形の頂点は天の方向を指し、もう一方の三角形の頂点は大地の方向を指しています。上の三角形は男性的な活動的な元素である「火」を表しており、下の三角形は女性的で育成的な元素である「水」を表しています。錬金術師が四大元素のうちのこの2つを正しく結合することができたとき、彼らは、錬金術のバラによって象徴される赤色を生じさせることができます。そして、白い蒸気の2つの流れが2つの三角形が組み合わされた形で、錬金術のバラが私たちの前に姿を現します。この過程を描いたいくつかの挿絵では、生じた錬金術のバラには、外側に赤い花びらが並び、内側に白い花びらが並んでいます。しかし、この挿絵の場合は、白の要素は、それぞれの壺から出てもうひとつの壺へと流れる蒸気によって象徴されています。赤いバラは、大いなる作業(Great Work)と呼ばれる錬金術が成功のうちに完了したことを表す象徴でした。この作業から最終的に作り出されるのは賢者の石です。そして、先端が三つ葉の形になっている(訳注)十字を飾るバラが、他の象徴的な色ではなく赤色である理由のひとつは、このバラが完成を象徴するからです。

(訳注:先端が三つ葉の形になっている(trifoliate):バラ十字の多くの象徴では、十字の四つの腕は、いずれも三つ葉の形をしている。下のバラ十字の図案を参照。)

バラ十字

この一連の象徴から、バラ十字会員の実践に役立つような何らかの結論が得られるでしょうか。預言者マリアの挿絵の右半分は、以上の説明からわかるように、赤いマントを着た男性と白いヴェールをまとった女性に関連する象徴を中心に展開されています。

象徴的に言えば、赤いバラによって示される完成は、白いヴェールが取り去られたときにだけ達成することができます。2つの壺は、ヘルメス・トリスメギストスの壺を表しており、世界の創造に必要な元素を収納するという役割を完了しています。これらは、私たち一人一人の中にある二重の性質を表しています。いったん分割されると、内容物の昇華が完了するため、この挿絵は、変容の過程の最後から2番目の段階を示していることがわかります。預言者マリアは、過去の時代の叡智を擬人化したものであり、現在明らかになっていること、つまり、それぞれの人間の中には、性別に関係なく、反対の側面が存在するということを指摘しています。この2つの側面には、調和したバランスがもたらされなければならず、それは、互いに補い合い、完全で調和のとれた全体が形成されたときに実現されます。いったんこの状態になれば、それぞれの人は、自身が望むあらゆることを達成することができます。この至福の状態に到達することは、手の中に「賢者の石」をしっかりと握っていることで象徴的に示されます。これは過去の時代の象徴主義の錬金術師の目標でしたが、現代のバラ十字会員の目的でもあります。


https://web-mu.jp/spiritual/529/ 【完全な存在を生み出す究極の叡智「錬金術」の基礎知識/世界ミステリー入門】より

文=中村友紀

「錬」という文字は「金属を良質のものにきたえあげる」という意味を持つ。つまり、錬金術は文字通り、「卑金属から貴金属(金)を生みだす」ことである。しかし、その真の目的は、未成年で不完全なものを、成熟した完全なものに導くことだ。錬金術師たちが追い求めた叡智の正体とは?

人が神になるための究極の叡智

 錬金術とは、卑金属から貴金属(金)を創りだそうという試みから始まった。だが、それはやがて、この世に存在する物質のみならず、生命を生みだし、人間の魂を完全な存在に錬成することを目的とするようになっていった。

 この「完全な存在」こそ、錬金術のキーワードである。端的にいえばそれは、人間が神になることに等しい。なせなら物質の組織を自在に変えられるということは、この宇宙や世界を創りだすことでもあるからだ。

 究極の錬金術とは、人が神になることなのだ。

  錬金術の発生は、古代ギリシアにまでさかのぼる。

 当時のギリシアでは、万物の基本的要素は火、気、水、土のいわゆる「四大元素」だと考えられていた。そうであるならば、貴金属である黄金もまた、この4つの元素からできていることになる。重要なのは元素を転換させる技術であり、それさえわかれば、人工的に黄金を生みだすこともできるのではないかと考えられたのだ。

 このアイデアは、エジプト経由でイスラム世界に伝わっていったが、その間に大きく変質し、発展を遂げていく。具体的には、占星術や神秘思想、エジプト魔術などと交わり、さらに医学への応用など、神秘学の集大成のようになっていったのだ。ちなみに、それがヨーロッパに逆輸入されたのは、12世紀になってからのことである。

 その錬金術の祖とされているのが、伝説の人物ヘルメス・トリスメギストスだ。彼は、ヘレニズム時代(紀元前334~同30年)のエジプトに存在したとされる神人だが、実在の人物ではなく、ギリシア神話のヘルメスと、エジプト神話のトートが習合したものとされている。

 だが、実在しなかったにもかかわらず、彼が著したとされる錬金術の重要文書がある。『ヘルメス文書』と『エメラルド・タブレット』だ。また、世界で唯一、彼だけが手にすることができたとされる重要アイテムが「賢者の石」だ。

 以下、順番に説明していこう。

錬金術の祖といわれる伝説的な人物、ヘルメス・トリスメギストス。

錬金術の奥義が記された『聖書』

 ヘルメス・トリスメギストスの「トリスメギストス」とは、「3重にもっとも偉大な者」という意味だ。これは、3人のヘルメス、3重の知恵を持つ者を意味する。それだけ彼が偉大だったという、一種の形容詞だ。

 ヘルメスには、生涯で3万冊以上の本を書いたという伝説がある。その一部が後世に伝えられたとされ、『ヘルメス文書』と呼ばれている。その多くは、紀元前3~紀元3世紀ごろにかけて書かれた匿名の文書で、新プラトン主義や新ピタゴラス主義、グノーシス主義などの影響を強く受けている。また、占星術や太陽崇拝なども含まれる。

 これがアラビア経由でヨーロッパに入ると、たちまち大反響を呼んだ。ヨーロッパにおける魔術や錬金術の源流は、こうして始まったのである。

 このように膨大な文書を書き残した一方で、ヘルメス・トリスメギストスは、錬金術の奥義を寓話的なきわめて短い文章にまとめ、エメラルドの板に書き記したといわれている。これが『エメラルド・タブレット』で、錬金術師の間では『聖書』的なものとして重要視されてきた。

 たとえば、よく引用される有名な一文がある。

「下の世界にあるものは上の世界にあるものに似ており、上の世界にあるものは下の世界にあるものに似ている」

 これは、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)の共感関係について述べたものとされ、宇宙の基本的な構造を端的に語るものとされている。

 実は『エメラルド・タブレット』は、ヘルメスの遺体(ミイラ)とともに、ギザの大ピラミッド内に埋葬されたという。

 その後、『エメラルド・タブレット』は「発見」され、内容が正確に書き写された。12世紀にはラテン語に翻訳されて、ヨーロッパ世界にも広まっていく。有名な錬金術師パラケルスス(後述)も、父のウィルヘルムが診療室に貼っていた『エメラルド・タブレット』を見ながら育ったといわれている。

 なお、現存する『エメラルド・タブレット』はそのすべてが「翻訳された」と称するもので、ヘルメスが刻んだ実物は確認されていない。

 ただし、書き写されたものならば、いくつも存在する。それは前述のように、錬金術師たちの間で『エメラルド・タブレット』が「奥義を記した錬金術の『聖書』」として大切にされたからだ。ちなみに「原典」の発見者は。アレクサンダー大王だともいわれているが、もちろん真偽は定かではない。

ヘルメス・トリスメギストスによって、錬金術の奥義が刻まれたとされる『エメラルド・タブレット』。その現物は見つかっていない。

すべての理想をかなえる「賢者の石」

 本稿の最初で筆者は、もっとも重要な錬金術のキーワードは「完全な存在」を錬成することだと述べた。

 それを100パーセント可能にするのも、すなわち錬金術のゴールとでもいうべきものが、「賢者の石」である。あるいはこれを、錬金術にける「究極のマスターキー」と呼んでもいいかもしれない。

 言葉を換えれば、錬金術における最大の目標は、賢者の石を創りだすとにあった。なぜなら賢者の石さえあれば、黄金のもちろんのこと、不老不死や人間の霊性の完成まで、すべてを可能にすることができる。「賢者の石」は、そんな究極の魔法のアイテムだと考えられていたのである。

 たとえば灼熱にかざされた坩堝(るつぼ)のなかで、何かの金属を溶かしておく。そこに「賢者の石」をほんのひとかけら放り込むだけで、金属はたちまち黄金に変わるのだ。

『賢者の石を探す錬金術師』(ジョセフ・ライト画)。究極の物質である「賢者の石」を求めて、錬金術師たちはあらゆる試行錯誤を繰り返していた。

 錬金術師は皆、この「賢者の石」を創りだすことに夢中になった。

 錬金術師は「賢者の石」を創るためにありとあらゆる実験を行ったが、基本となったのは対象物を熱すること、さらに加熱して気化させ、冷やして蒸留し、もとの個体に戻すこと、別々の素材を溶かし、混ぜあわせること、液体を加熱して凝固させることなどだった。

 それには当然、今日でいう科学的な設備や道具、そして専門の実験室が重要になる。具体的にいうと、ビーカーやフラスコ、ガラスの瓶、鉢、皿、鍋、蒸留器、濾過機、そして強い炎を生みだす炉などが必要になるのだ。おわかりのように、今日でも科学的実験室では必需品ばかりだ。このようにして錬金術は、現代化学のルーツになっていったわけだ。

「賢者の石」がどこかで、実際に完成していたのか――それはわからない。ただし、錬金術の歴史を見ると、「賢者の石」の錬成に成功したと主張する人物も少なからずいた。

 たとえばアラビアの錬金術師ドゥバイ・ブン・マリクは、原料として使った卑金属を、3000倍の量の金属に変える物質=「賢者の石」を創造したと主張している。あるいは――詳細は後述するが――「賢者の石」を液化して飲むことで、不老不死を手に入れたというサンジェルマン伯爵のような人物もいた。

 端的にいえば「賢者の石」は、創ったと主張する者はいても、確かな証拠はどこにも残されていない。

錬金術師ニコラ・フラメルの実験道具。錬金術の研究で使われたさまざまな道具、蒸留や凝固といった実験の工程、そしてその実験データは、後世の化学の発展に貢献した。

 そもそも賢者の石が完成したならば、それは神と同じ力を手に入れるのと同じことである。当然、その力は無限大なはずで、そうなるとドゥバイ・ブン・マリクのいう「3000倍」という現実的な数字が、逆にいかがわしく思えてもくる。

 その意味では、「賢者の石」は錬金術の世界における永遠のテーマ、蜃気楼の逃げ水のようなものなのかもしれない。

錬金作業にはいくつもの複雑な工程が存在する。その順序や数は錬金術師たちによってさまざまなに記され、一様ではない。図は太陽と月に象徴される「結合」へ到達するための7段階の工程を表している。

人造人間を作ったパラケルスス

「賢者の石」と並んで、錬金術においては、ホムンクルス(人造人間)も重要な存在だ。ホムンクルスというのは「こびと」という意味で、錬金術で人間が神になれるのなら、当然、人間を創りだすこともできるはずだ、という考えがベースになっている。

 ホムンクルスのアイデアは古くから存在していたが、それを世に広めたのは、1493年にスイスに生まれた、医学者にして錬金術師のパラケルススである。

 パラケルススは著作のなかで、人間の精液蒸留器に入れ、40日間密閉して腐敗させることで、透明でヒトの形をしたものが現れると主張した。これに人間の血液を与えつづけると、やがて小さな人間の子どもができるというのである。「ホムンクルス(こびと)」という名前は、ここからきているわけだ。

医学者で錬金術師のパラケルスス。「放浪の魔術師」と称され、生涯を旅の空で送りながら、膨大な量の著書を残した。

 こうして誕生したホムンクルスは、生まれたときからすべての知識を身につけているという。つまり、精神的には完全な存在である。だが一方で、ゲーテの『ファウスト』に登場するホムンクルスは。フラスコのなかで創られ、そこから外には出て生きることができない。肉体的には、妖精のように弱々しい存在として描かれていた。

『太陽の光彩』サロモン・トリスモシンより。「哲学者の卵」と呼ばれるフラスコの中に描かれた少年とドラゴン。この少年はホムンクルスを表したものではないかと解釈される。

 ここまで見てきておわかりのように、錬金術は単なる黄金の錬成術ではない。この世界や宇宙における、オカルト的な要素すべてを含んでいる。

 古代においては、占星術も錬金術のひとつだった。魔術もしかり、である。そしてそれらは中世以降のヨーロッパで、秘密結社や芸術、医学、化学とも習合していくのである。

 その過程で大きな役割を果たしたのが、前述のパラケルススだった。パラケルススは錬金術師ではあったが、その前に医師でもあった。というか、彼の意識のなかでは、自分は新たな時代を切り開く新進気鋭の医師そのものであったはずである。

 なぜなら彼にとって錬金術とは、決して黄金を錬成することではなく、人間の病を癒す「薬」を作りだすことであり、その結果、人々に「完全なる健康体」をもたらすことだったからである。

 そのため彼は、当時、常識とされていた従来の医学知識や治療法をことごとく否定している。一般的に用いられていた薬草よりも、鉱物から作りだす薬品を重視したのだ。それは、まさに権威に対する反逆であり、事実、彼はバーゼル大学の医学教授の座を追われてしまった。

 その結果、長い放浪生活を余儀なくされたわけだが、その間に364冊もの膨大な著書を書き残している。これが後の錬金術や医学、化学にも大きな影響を与えていったのだ。

神秘と伝統に満ちた錬金術の巨人たち

 さて、前途のパラケルススを筆頭に、歴史上。名高い錬金術師はたくさんいる。

 たとえば、フランスのサンジェルマン伯爵もそのひとりだ。

 彼はプロシアの皇帝フリードリッヒ2世から「死ねない男」と呼ばれた。実際、サンジェルマン伯爵は自分の年齢は4000歳だと主張し、不老不死の理由について、「賢者の石を液化した生命の水」のせいだと公言していた。

 こうしてサンジェルマン伯爵は、古代バビロンの宮廷に出入りしたり、シバの女王を謁見したりした一種の「タイム・トラベラー」であると主張。また錬金術では、石をダイヤモンドに変えたり、ダイヤモンドの傷を消したりしたとされている。

サンジェルマン伯爵。生没年不詳で、あらゆる分野の知識を持ち、時を超えてさまざまな時代に現れる「タイム・トラベラー」であったという。

 それからもうひとり、同じく伝説的な錬金術師に、クリスチャン・ローゼンクロイツがいる。彼は17世紀にヨーロッパで大流行した秘密結社、薔薇十字団の創設者とされる人物だ。10年近い中東での放浪生活の間に錬金術や魔術を学び、ドイツで「聖霊の家」を建て、キリスト教と錬金術による世界変革を目指したのである。彼は1484年に106歳で亡くなったとされるが、それまでに天界と人間界の秘術を極め、過去・現在・未来のあらゆる出来事の要約に成功したといわれている。

 そのローゼンクロイツの遺志を継いだ薔薇十字団も、錬金術や魔術などの古代の叡智で世を救うことを目的としていた。

 ただし、その実態は厚いベールに包まれており、逆にそれゆえ多くの著名人が薔薇十字団に強い憧れを抱いたのである(ちなみに前述のサンジェルマン伯爵やカリオストロ伯爵も、薔薇十字団の団員だと自称していた)。

 特筆すべきは、彼らの目的が賢者の石を創りだしたり、黄金の錬成を行うことではなかったということだ。人間を完全なものとし、世界の変革を行うには、「完全にして普遍的な知識」を得ることがなによりも重要となる。そのためには、天地の創造から宇宙の真理まで、あらゆる知識を正しく知る必要があった。錬金術は、そのための手段であるとされたのだ。

クリスチャン・ローゼンクロイツ。「人は神と天と地に調和せよ」と主張し、博愛の精神をもって、貧困や病気に苦しむ人々を救済した。

 こうして錬金術は、「賢者の石」や黄金の錬成といった物理的な目的から、より精神的なものへと変化していく。とくに薔薇十字団の思想は、数々の秘密結社に受け継がれた。

 有名なところでは、フリーメーソンもそうだ。

 もともとフリーメーソンは、教会や宮殿を建設した石工の組合だったが、そこに魔術や錬金術の思想が取り込まれると、本来の目的とはまったく別の組織へと変革していった。これを「近代フリーメーソン」と呼ぶが、彼らの間ではいまもなお、古代の魔術につながる密儀が重視されているのである。

ニュートンは錬金術師だった?

 ところで、最後の錬金術師であり、魔術師と呼ばれている人物がいる。「近代科学の父」と称されるアイザック・ニュートンである。物理学の基礎となった「ニュートン力学」の生みの親であるニュートンは、実際には錬金術に情熱を注ぐ魔術師だった。

 ニュートンは、宇宙は神によって創られたものだと固く信じていた。『旧約聖書』の「創世記」に綴られた天地創造も、神による錬金術による結果だと考え、その過程を自らが解き明かすことに熱中していたのだ。

「近代科学の父」と呼ばれたアイザック・ニュートン。後年発見された手稿によって、彼の論理が錬金術研究から導きだされたものであることがわかっている。

 ニュートンにとって科学とは、この世の現象すべての原因を極めつくし、結果として神のもとへ到達する手段にほかならなかったのである。それはまさに錬金術の思想そのもので、実際、ニュートンはカレッジに私的な錬金術の実験室をもっており、そこで実験に没頭していたのだ。

 20世紀になってニュートンの遺稿が競りにかけられ、世に出てくると、彼がいかに錬金術に夢中だったかがわかってきた。

 それを読んだ有名な経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だった」と口にしたという。科学の時代の始まりは、錬金術の時代の終焉と、見事なまでにリンクしていたのである。