世界大戦へ8-日露戦争勃発
2023.07.31 11:36
1904年2月6日、日本はロシアに国交断絶を言い渡した。そしてこの日には海軍が佐世保を出港、2月8日には陸軍が仁川に上陸、同日旅順口に奇襲を行った。そして2月10日に宣戦布告を行った。ロシアに時間を与えると、旅順要塞が完成し、また東清鉄道が延長されて兵站が容易になると考えた。
ロシアといえば、最強硬派の極東総督アレクセーエフも日本が宣戦してくるとは考えていなかった、日本を脅せば、ロシアの力を恐れて有利な方向に日本が転んでくると思っていた。皇帝ニコライ2世といえば、最後まで交渉の進展に期待し、まさか戦争とは思わなかった。
4月30日に、陸軍第一軍が鴨緑口を渡河しようとしてロシア軍と会戦となり、舐め切っていたロシア軍を打ち破る。この勝利のニュースはたちまり欧州をかけめぐり、ロンドン市場で前評判の悪かった日本国債は、あっという間に完売した。これで戦費がまかなえるようになったのである。
5月26日には第二軍が南山の戦いで激戦の後勝利、アレクセーエフは、旅順援護を要請し、当初遼陽で待ち受けるはずであったロシア軍は南下するが、得利寺の戦いで日本軍に敗退して遼陽に戻るハメになった。大口を叩いていたわりにロシア軍の作戦は終始チグハグだった。