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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第7回十字軍2-蒙古侵入エルサレム再陥落

2018.07.28 02:58

モンゴルの侵入は聖地の運命を変えようとしていた。中東方面へはチョルマグンが司令官となり、1231年イランにあったホラズム・シャーを滅亡させ、さらに西進した。滅ぼされたホラズム残党はモンゴルに押される形で西進していく。そして1239年イスラムとキリスト教の停戦期限が切れ、スルタン、アル・カーミルが崩御した。

1240年ナバラ王にしてシャンパーニュ伯であるチボー1世が十字軍を率いて、アスカロン等を征服した。そこで新たにスルタンとなったアル・サーリフは、シリアを襲っていたホラズムに「キリスト教なら襲ってもいい」とけしかけた。1244年、ホラズムはエルサレムに侵攻し、キリスト教の教会を破壊し、教徒を虐殺、残った人はアッコなどに逃れた。

アル・サーリフはさらにダマスカスを襲おうとするが、ダマスカスはキリスト教と手を結び、おかしな決戦が実現した。しかしやはりこの連合はうまくいかなかったか、エジプト側が勝ち、最終的にエルサレムはエジプトの支配に戻ってしまう。ホラズムは約束されたダマスカスがもらえず、エジプトと戦争したが、さんざん利用されたあげくここで滅ぼされた。

エルサレムの再陥落と破壊は、欧州に連絡された。グレゴリウス9世の死後混乱していたヴァチカンは、1243年インノケンティウス4世が教皇となり、十字軍がよびかけられた。皇帝フリードリヒ2世はハナから除外。頼りとするはフランスのルイ9世である。

下はレバント(シリア、パレスチナ)に入るモンゴル