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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第7回十字軍3-カタリ派最後の砦陥落

2018.07.28 03:11

遂にアルビジョワで異端審問への反発が爆発した。1241年5月、アヴィニョンで審問官ら11人が住民に虐殺された。反乱の火の手はあちこちにあがった。実はトゥールーズ伯レーモン7世は、仏王だけでなく、次女エレノアールを英王ヘンリー3世と結婚させていた。エレノアールは王冠ではなくティアラを被り彼女が広めたのである。

英王は、レーモンら南仏諸侯の要請で、議会の反対を押し切りフランスに出陣、レーモンらも呼応して反乱を起こした。しかしすでに親政を始めていたルイ9世が宣戦すると、仏諸侯は次々に王の側に入り、英軍諸侯も帰国、ヘンリー3世は仏王自ら出陣したタイユブール、サントで敗北して帰国を与儀なくされた。

レーモンは敗北を認め、ルイ9世にひれ伏した。南仏の反乱は失敗し、英王はガスコーニュ以外の領地を正式に放棄して、仏王に臣従を誓った。そして43年、ついにカタリ派最後の要塞モンセギュール包囲が始まった。

翌年3月、要塞は降伏し、中に居たカタリ派残党への最終審問が行われた。全員異端放棄を拒否、224人は山の麓で火刑に処せられ、次々に火の中に投げこまれた。最後に痛ましい犠牲を出して、アルビジョワ戦争は鎮圧されたのである。

下は今も残るモンセギュール城塞の跡