グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)、ある救済の風景。…《アダージェット》は通俗名曲なのか。
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)、ある救済の風景。
…《アダージェット》は通俗名曲なのか。
Gustav Mahler
(1860-1911)
マーラーを、回顧してみよう。
次に、《子どもの不思議な角笛 Des Knaben Wunderhorn》期というのがくる。
詩はアヒム・フォン・アルニム(Achim von Arnim, 1781-1831)と、クレメンス・マリア・ブレンターノ(Clemens Maria Brentano, 1778-1842)。彼らの残した詩に、マーラーは音楽をつけた。
Gustav Mahler (1860-1911)
Des Knaben Wunderhorn
1. Der Schildwache Nachtlied (Musique de nuit de la sentinelle (Janvier/Février 1892)
2. Verlorne Müh – Peine perdue (Février 1892)
3. Trost im Unglück – Consolation dans le malheur (Avril 1892)
4. Wer hat dies Liedlein erdacht? – Qui a imaginé cette chansonnette ? (Avril 1892)
5. Das irdische Leben – La vie terrestre (après avril 1892)
6. Revelge - Réveil (Juillet 1899)
7. Des Antonius von Padua Fischpredigt – Le prêche de St Antoine de Padoue aux poissons (Juillet/Août 1893)
8. Rheinlegendchen – Petite légende du Rhin (Août 1893)
9. Lied des Verfolgten im Turm – Chanson des persécutés dans la tour (Juillet 1898)
10. Wo die schönen Trompeten blasen – Où sonnent les belles trompettes (Juillet 1898)
11. Lob des hohen Verstandes – Éloge de la raison (Juin 1896)
12. Der Tamboursg'sell – Le petit joueur de tambour (Août 1901)
1.歩哨の夜の歌
2.むだな骨折り
3.不幸な時の慰め
4.この歌を作ったのは誰?
5.この世の生
6.魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
7.ラインの伝説
8.塔の中で迫害されている者の歌
9.美しいラッパが鳴りひびくところ
10.高い知性を賛える
後に外されたもの(交響曲に転用したため)
・原光(交響曲第2番、第4楽章)
・3人の天使が歌った(交響曲第3番、第5楽章)
・天上の生(交響曲第4番、第4楽章)
同時期に、単独で作曲されたもの
・死せる鼓手
・少年鼓手
この歌曲集が元ネタになっているのが、交響曲第2番《復活》から第4番まで。
もっとも、それ以降にも、この時期の音楽からの引用や、反響は強く残っている。
《角笛》交響曲時代をもって、マーラーのいわゆる《初期》は終る。そして、第五番以降の《後期》が到来する。
《初期》と《後期》では、音楽語法の、と言うよりは、むしろ音楽が存在している世界の、あるいは見ている風景の、明らかな違いがある。
《初期》の方がむしろ、客観的な眼差しがある。《後期》の方が、むしろ個人的な独白の色彩をむしろ強めている。
わたしには、そう感じられる。
《巨人》~《復活》がハンス・ロットのための交響曲だったとするなら、第三番はニイチェの《ツァラトゥストラ》まで引用した文字通りの世界認識をめぐる大交響曲である。
そのような壮大さ、…音楽規模の問題ではない音そのものの大きさは、第三番を頂点とするように想う。
マーラーが、《宇宙が鳴る》と語った第8番にしても、むしろ、私はそこに、マラー個人の、個人に基づく独白を、ただ、感じてしまうのである。
いずれにしても、《後期》において決定的な役割を果たすのが、《リュッケルトによる歌曲集(Rückert-Lieder)》である。
歌曲集の作曲年代は1901年から1902年にかけて。
文字通り、マーラーの二十世紀は、この歌曲集とともに始まったのだと言っていい。
私の歌を覗き見しないで Blicke mir nicht in die Lieder! (1901.6.)
私は仄かな香りを吸い込んだ Ich atmet' einen linden Duft (1901.7.)
私はこの世に捨てられて Ich bin der Welt abhanden gekommen (1901.8.)
真夜中に Um Mitternacht (1901年夏)
美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit (1902.8.)
この歌曲集を題材にして生み出されたのが、交響曲第5番以降の交響曲群である。
最初にピアノ伴奏版が書かれ、やがて、オーケストラ伴奏版が、マーラーによって書かれて行った。
基本的には、マーラーによるオーケストラ伴奏つき歌曲の作曲順序は、そういった順序をとる。
とはいえ、すべてに、マーラーによるオーケストラ・バージョンが残っているわけではない。
《美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit》のオーケストラ・バージョンが欠けている。ゆえに、この曲がオーケストラ版で演奏されるとき、それは他人の手による編曲版を聞かされている、と言うことになる。
よって、今日では、通常、この曲ははずして、全4曲として、オーケストラ版は演奏されることが多い。
そして、マーラー自身は演奏の順番について特に指定しておらず、かつ、1905年1月の、作曲家本人の指揮による自作自演においては、この曲はカットされている。
もっとも、オーケストラ版がないのだから、当たり前なのだが。
その時の演奏順は以下の通り。
1. 私は仄かな香りを吸い込んだ Ich atmet' einen linden Duft
2. 私の歌を覗き見しないで Blicke mir nicht in die Lieder!
3. 私はこの世に捨てられて Ich bin der Welt abhanden gekommen
4. 真夜中に Um Mitternacht
この理由で、この歌曲集は、今日、普通《美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit》抜きで演奏されるのが、どうなのだろう?
マーラーにとって、この曲はどうでもいい曲だから、オーケストラ版さえ作らなかったのか。
それとも、そうでないのか。
美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit、その歌詞を掲載しておく。
Liebst du um Schönheit,
O nicht mich liebe!
Liebe die Sonne,
Sie trägt ein goldnes Haar!
この美しさゆえに愛するのなら
私を愛さないでください!
太陽をこそ愛してください
黄金の髪をゆらしているのだから!
Liebst du um Jugend,
O nicht mich liebe!
Liebe den Frühling,
Der jung ist jedes Jahr!
この若さゆえに愛するのなら
私を愛さないでください!
春をこそ愛してください
その若さは永遠なのだから!
Liebst du um Schätze,
O nicht mich liebe!
Liebe die Meerfrau,
Die hat viel Perlen klar!
この豊かさゆえに愛するのなら
おお私を愛さないでください!
人魚をこそ愛してください
美しい真珠に埋もれてさえいるのだから!
Liebst du um Liebe,
O ja mich liebe!
Liebe mich immer,
Dich lieb’ ich immer,immerdar!
愛ゆえに愛するのなら
私を愛してください!
いつまでも、私を
私もあなたを愛します、いつまでも!
考えようによっては、とんでもない詩と言えば言える。美しくて若くてお金持ちの女が、いや、じゃなくてわたしそのものを愛してよ、と言っているのである。
詩だけ見ていると、勘弁しろ、と想わずつぶやきそうになるが(笑)、要するに、言っているのは愛そのもの…現象的、あるいは現世的な属性にもとづく女性的・男性的なんでもいいが、そういうリアルな魅力云々ではなくて、《愛》、ただ、精神的な《愛》そのものを歌っている、ということにはなる。
そして、このオーケストレーションが施されなかった曲は、第五番の《アダージェット》に、ほぼそのまま移植されているように想う。
曲の雰囲気が、そっくりなのである。
メロディも、なにもかも。
Gustav Mahler
Adagietto. Sehr langsam. Symphony No. 5 in C sharp minor, 1901-02.
《魚に説教するパドヴァの聖アントニウス》と《復活》第三楽章ほど露骨ではないが、あきらかに、この歌曲のインスト版が、あの《アダージェット》だ、という気がする。
結局のところ、マーラーにとっては、この歌にオーケストラ版を作らなかったのは、この曲がどうでもよかったからではなくて、むしろより精緻なオーケストラ表現を、《アダージェット》で実現してしまったから、なのではないか。
あるいは、言葉を排除した、抽象的な真実として、より精緻な表現を求め、結果、書かれたのが《アダージェット》なのではないか。
マーラーを聞き始めたころ、一番よく聞いたのが、《アダージェット》だった。カラヤンの没後にレコード会社が発売した商業用コンピレーションのおかげでこの曲が有名になったわけではない。最初から、美しい愛の歌の歌として、有名だった。
そして、映画《ヴェニスに死す》によって。
マーラーを聞けば聴くほど、そしてそれ以外の音楽を聴けば聴くほど、この曲をまるで通俗名曲か何かのように感じていくのが常なのだが、それでも、もう十分大人になった頃に、交響曲第5番を、ではなくて、交響曲第8番を聞いていて、不意に、私はこの曲こそが、《後期》マーラーを支配する音楽なのだということに気付いた。
実際、第8番は、この《アダージェット》の音響を、第一楽章も第二楽章も、色濃く反映している。
ところで、では、《アダージェット》は本当に、当時熱愛していたアルマという女性に対しての個人的なラブ・レターなのか?
例えば、この演奏に関して、《アダージェット》というテンポ指定をほぼ無視してさえも、極端にゆったりとしたテンポの濃厚・濃密な表現が良しとされがちな、その根拠はこれが、愛の歌だから、ということなのだが、最初に書いたが、そもそもが、エロス・タナトス、性と死、ようするに現世的・肉体的属性に基づかない、精神的な《愛》を求めた歌が、この曲のそもそもの原風景なのである。
それを、忘れてはいまいか。
マーラーが見ている風景は、例えば、《トリスタンとイゾルデ》でワグナーが見つめていた風景とは、全く違うはずなのだ。
Richard Wagner
Tristan und Isolde, Act I: Prelude - Liebestod
ワグナーの世界は、明らかにエロス・タナトスの濃密な世界であって、それが悲痛な表情を持ったとしても、マーラーのアダージェットのような、奇妙な不安感や痛々しさを感じさせることはない。
マーラーの提示する世界は、美しいが、どこかで悲劇性を予感させ、単純に、痛い。
この差異は、解消し難いものであって、マーラーの提示する《愛》とは、ワグナー的な意味での肉体に基づく《愛》ではないということになる。
つまりは、男性という肉体=存在に基づく、女性の肉体=存在に対する《愛情》ではない、のだ。
ところで、先の稿で、《巨人》~《復活》が、ハンス・ロットの壊れてしまった魂を救済するための物語だったのではないか、と言うことを書いたのだが、その、《救済=復活》の契機になるのが、小歌曲《原光》である。
そして、そこに、はっきりと現れるのが、交響曲第9番第四楽章の《救済のアダージョ》のテーマの原型である。
Gustav Mahler
Symphony No. 2 in C minor, "Resurrection"
4, "Urlicht"
O Roschen rot!
Der Mensch liegt in groster Not!
Der Mensch liegt in groster Pein!
Je lieber mocht' ich im Himmel sein!
おお、赤い小さな薔薇よ!
人間はこの上ない苦悩の内にある!
人間はこの上ない苦痛の内にある!
しかし、むしろ私は天国にいたい!
むしろ私は天国にいたい!とつぶやき始める瞬間に、音楽は《アダージェット》の上昇旋律をなぞり、そして、声が消えうせたあとに、音楽はあの《救済の主題》をはっきりとつぶやいて、消滅する。
つまり、それを考えれば、すべての原型は《巨人》~《復活》という交響曲が生成されていく過程の中にこそ在って、その、《救済》と復活の風景の中から、《美しさ故に愛するなら》および《アダージェット》、そしてやがては《救済のアダージョ》までもが形成されていったのだ、ということになる。
仮にそれを《愛》と呼んだとしても、そこに、人称と肉体を伴った性愛の対象が存在する必然性は、かならずしもなかったはずだ。
ちなみに、《救済の主題》は、ブルックナーの第9番第三楽章の弦による前奏に似ているのだが、作曲年代を考えると、引用とは考え難い。
Anton Bruckner
Symphony No. 9 in D minor 3 Adagio. Langsam, feierlich
響きは近い。
ハンス・ロットやマーラーはブルックナーの弟子であって、彼らに、唯一の理解を寄せたのが、ブルックナーだった。
この曲の作曲年代は推定1887年くらいから、1896年くらいまで。第三楽章の完成は94年。
マーラーの《復活》は同じ94年の完成ながら、92年くらいまでには、《角笛》歌曲としての《原光》は、完成されているはずだ。
そう考えてば、かつて、同じウィーンの町で、個性も、後の世代への影響の与え方も全く違うものの、巨大な存在感を誇ることになる二人の作曲家が、殆ど同時に同じような旋律線を、全く違う意味で、口ずさんだ、ということになる。
一人は、永遠なる神への帰依の賛歌として。
もう一人は、血にまみれた魂の、救済の歌として。
あるいは、それは、何らかの奇跡だと、みなすべきなのだろうか?
あるいは、普遍的な真実に触れた何かなのだと?
2018.07.28
Seno-Le Ma