西山ゆりこ
https://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/2017/06/%E9%A7%92%E8%8D%892016%E5%B9%B46%E6%9C%88.html 【「駒草」2016年6月号】より
「駒草」2017年6月号 「駒草」(発行編集:西山睦)2016年6月から。
西山ゆりこのコーナー「ゆりこのどうよ!この俳句」に拙句《男子生徒の弾力知りぬ椅子の春》(『花独活』)の一句鑑賞。《演出かフィクションかは不明だが、作者は男性という性を重んじている。私は女性のフォルム贔屓なので「ふん」と一蹴したいところだが》
燕の巣かもめの羽根のうちまじり 西山 睦
スカイツリー黄沙に噎する孤独かな 請地 仁
https://sectpoclit.com/taiku-2/ 【「体育+俳句」【第2回】西山ゆりこ+ダンス】より
西山ゆりこ(「駒草」同人)
ひとすぢの流るる汗も言葉なり 鷹羽狩行
大好きな句だ。幾つものシチュエーションが思い浮かぶ。
一番ベタな読みとしては、じっと押し黙り、でも内心は言葉を絞り出そうとしている時に、こめかみから噴き出してつつっと動く、いわば「静の汗」。いやいや、「ひとすぢ」で終わらせず「流るる」と強調し、躍動感があるので「動の汗」とも解釈できる。例えばフィールドでゴールを決めた汗まみれの顔。そのひとすじにカメラを寄せてクローズアップすれば、勝鬨そのもののような汗となる…想像すればキリがないが、抑えようのない人間の生理現象もまた言葉だという。絶妙である。
先ほど「幾つものシチュエーション」と書いたが、実はこの句を読むたびに生々しく脳裏に蘇る汗がある。
それは「オーディションの汗」だ。
物心がついた時から踊っている。
最初は町内会の集会場で、やがて都心のダンススタジオへ。「ただただ楽しいから踊って来た」部類の人間なので、例えばコンクールを目指すようなバレリーナとは、エベレストと月極駐車場ぐらいの差があるとご了承いただきたい。が、そんな私にも、一応「ダンス魂」のようなものが宿った。そして、ステージに立つためのオーディションもいくつか経験した。
舞台で輝く汗を「努力の結晶」というが、そもそも、オーディションを通過しないと努力することさえ許されないのだ。だから本格的なダンスクラスにせよ、学生の部活動にせよ、日々のレッスンでは、あえて少人数で鏡の前に並ばせたり、生徒同士で評価をさせたりする。人に見られる練習である。ダンス仲間の通っていたスクールでは、「●●のオーディション用の髪型とメイク、レオタードをコーディネートする」という模擬試験があり、さらに自己PRの台本や、名乗りの発声指導もあって「正直、踊るよりもキツかった」そうだ。
私は、名乗りの練習とまではいかないが、オーディションが近づけば爪を伸ばした。その方が手が長くきれいに見えるからである。当日にはアイラインを少しきつく入れる。鏡の前で、別人のようで気持ち悪いな、と思う。
オーディション会場につけば、大半の時間は「待ち」となる。更衣室はナイロンのバッグであふれ、皆黙々と着替える。ほつれ毛が出ないようにヘアワックスを塗りながら、「オーディションの汗」はすでに始まっている。緊張で指先が冷え、突然自分が色褪せたように思えて来る。
ゼッケンをつけて振りつけが始まり、体を動かせばいくらか気が紛れるが、指先は冷えたまま。普段のレッスンでは、楽しい楽しいとのめり込んでいるうちに、気づけば汗びっしょりになっているのだが、オーディションでは心臓から絞り出されたような、ベトついた汗が滴る。また、その一滴一滴が煩わしい。これから審査員の前で選別されるのに、重たくて張り付いて邪魔だ。
まさに、このひとすじの汗は言葉。思い通りにならない私の肉体が、他でもない私自身に語りかけてくる。「緊張」「落チツケ」「オ前ハダメナ奴」「イヤ、オ前ナラデキル」…その言葉はひとつではなく、秒ごとに揺れ動いた。 「では、これより選考に入ります。」の声がかかれば、あとはあっという間。
全てが終わり、足元がフワフワとしたままナイロンバッグを肩に、帰り道の交差点を渡る。さっきまでの汗は風に吹かれ、「アー終ワッテシマッタ」と冷えて消えてゆく。
今でもダンスは好きだが、ダンサーの旬はとうに過ぎ、「オーディションの汗」をかくことはなくなった。単なる運動の汗、緊張の汗はかくことは出来ても、自分の全身とあんな風に語り合うことはもうないだろう。少し淋しい。
【執筆者プロフィール】
西山ゆりこ(にしやま・ゆりこ)1977年、神奈川県生まれ。日本女子体育短期大学舞踊専攻卒業。平成15年「駒草」入会、西山睦に師事。俳人協会会員。
句集『ゴールデンウィーク』(朔出版)。
https://note.com/chika158cm/n/n69d6910c4192 【西山ゆりこ句集 『ゴールデンウィーク』】より
俳壇3月号の「若手トップランナー」という、若い俳句の書き手を特集するコーナーで見た西山ゆりこさんの句がとても好きだったので、こちらの句集を購入しました。2017年発行です。新作をみて惹かれて、過去の句集も読んでみようとなるのは、読者として一番幸せな句集との出会い方だなぁと思います。
第九回田中裕明賞の選考会で、小野あたらさんの『毫』(受賞作品)に次ぐ点数を獲得していた西山ゆりこさんの『ゴールデンウィーク』。句集を読むより先に選評会でのやりとりを読んでいたので、いくつかの句は知っていました。しかし句集を読む前に、当該句集への有名俳人の評価を先に読んでしまうのは、良し悪しだなと思いました。
ゴールデンウィークありつたけのアクセサリー
選評会では、表題句がこれでいいのかという意見がありました。「アクセサリーを出してみたらこんなにあった、わーい、ゴールデンウィークだという。物欲をそのまま肯定したような、ちょっと俗っぽすぎますね。この句を表題句に選ぶというのは一体何を考えていらっしゃるんだろう。ここが一番の減点材料という気がしますね。」と四ッ谷龍さんのコメント。
しかし句集のあとがきを読むと、『ゴールデンウィーク』というタイトルにしたのは、二十歳から始めた俳句を四十歳になった作者がまとめて読み返したときに、かつての日々を思い返して、あの日々はまさにゴールデンウィークだったという理由で句集名にしたことがわかります。(一般的な捉え方では、この句が表題句で作者の自信句という認識でしょうが……。)
胎内の水かたむけて髪洗ふ
こちらの句に対しては、選評会で岸本尚毅さんが「これは面白がる読者も少なからずいるかなと思うんですけれど、私はこのタイプの句は「またか」という気がしました」とおっしゃっていました。先に選評会の評を読まなければ、わたしはこの句を面白がる読者だったと思います。
もちろん高い評価を得ている句集ですので、選評会でもたくさん褒められています。
しかし審査員の○○さんがこう言って褒めていたからすごい句なのだ、と私はすぐに思ってしまいがちです。先人たちの詠み方を参考にするのはとても大事なことなのですが、まず最初は自分の感覚を大事にしたいと思いました。俳句歴によって、好きな句、好きな俳人、好きな句集が変わっていくのは当然のことです。
長くなりましたが、こちらの句集でとくに好きだった句を。
耳掻を家族でまはしあたたかし 蠅取り紙蠅を捕へて回転す
納税期甘納豆のやめられぬ 松脂の香れる廊下夏兆す
夏の雲ファラオの壁画みな働き 背中より水へ倒るる夏休み
パプリカの赤を包丁始かな 男の力クレソンの水を切る
制服を着崩してゐる青嵐 夜濯や一本の草浮かび来る
感冒や眠りても眠りても夜 身籠りて心臓二つ熱帯夜
知らぬ子の声に乳張る青嵐 図書館の人の匂ひや冬隣
サングラス取り糠床へひざまづく
作者の明るさ、あっけらかんとした雰囲気が表れている句が多く、パワーのある句集だと思いました。また折を見て読み返したいです。