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シーズーと一緒に映画

シーと森の隠遁者

2018.08.02 02:17



明け方、弱い地震で目が覚めました。

東の窓の古びたベージュのカーテンが、仄かに明るくなっています。

エアコンで身体が冷えてしまい、すぐにリモコンのスイッチを切りました。


愛犬のシーズーのシーは、すぐ隣の玄関のフローリングの広間で、寝言のようないびきをかいています。

なぜか柔らかな布団ではなく、フローリングにじかに寝ています。


シーちゃん


呼んでも、寝言を繰り返しています。



東日本大震災から、1ヶ月が過ぎた頃、子供の頃によく遊んだ「一本松」と呼んでいた大きな1本の松の木を訪れました。


《「一本松」は、田んぼの真ん中の、こんもりと丸く盛り上がった場所の上に、文字通り1本、悠然と構えています。

黒くがっしりした逞しい幹から、太い枝を三方に大きく拡げて、大きな笠をかぶっているようです。子供心に、神様が宿る神秘的な存在に思えました。》


東日本大震災の大津波が、「一本松」のある山元町をも襲ったことをテレビニュースで知り、その後の存在が気になっていました。



休日のよく晴れた午前中、愛車のメタリックブルーのルノーカングーで、その「一本松」のある山元町山下地区へ向かいました。

何十年振りでした。


東日本大震災の大津波は、多くの町、家、人を呑み込み、甚大な被害をもたらしました。

山元町でも、海岸から数キロ先のJR山下駅の駅舎や線路まで大津波が達して、多くの人が犠牲になっていました。


有料道路の仙台東部道路から、国道6号線経由で山元町へ入ると、そこかしこの家々の屋根には、ブルーシートが被せられていました。

稲のない田んぼや黒い畑にも、まだ瓦礫が散在していて、大津波の爪痕を残していました。



しかし、「一本松」は、変わらない姿で、残っていました。

太く逞しい幹から、三方へ枝が拡がり、まるで大きな笠を被っているような姿は、そのままです。

周りの状況から、このあたりまで津波は達したはずでしたが、「一本松」は何事もなかったかのように、無言で佇んでいました。


なぜ「一本松」が無事だったのか?

もしかしたら、こんもりと丸く盛り上がった場所にあるため、かろうじて津波に耐えられたのかもしれません。

奇跡を感じました。


子供の頃を思い出し、登ってみました。

太く逞しい幹から、太い枝をつたわり、「展望台」と呼んでいた場所に辿り着きました。

「展望台」は、松葉が密集する中に、すっぽり1つの空間が開ける場所で、上半身を乗り出して、空と景色を眺めることができます。


春の綿をちぎったような積雲が浮かぶ青空を、「展望台」から見上げました。

子供の頃を懐かしく思い出しました。

ただ1日1日、何も恐れず、遠い未来に仄かな希望を抱いて、無邪気に過ごしていた頃を…

そして、この「一本松」に纏わる、忘れられない思い出が蘇って来ました。



桜が散ってしばらく経った頃、放課後に、小学校の通学路から少し外れた田んぼの真ん中にある「一本松」へ寄ると、1人のみすぼらしい黒っぽい格好をした男がいました。

男は、太い幹に寄りかかりながら座っていて、すぐ隣には、白い痩せた犬がいました。

木陰で薄暗く、うつむいた顔は、はっきり確認できませんでしたが、たしかに、その男には見覚えがありました。


当時、私が住んでいた国鉄の官舎の裏に、森のような樹々に囲まれた古い一軒家がありました。

どうやら、そこで1人暮らしをしている男のようでした。

母からは、理由なく、「森」に近寄ってはいけないと、厳しく言われていました。


少し怖くなりました。

立ちすくんでしまいました。

なんと、男は意外にも、本を読んでいるらしく、痩せた犬は、すぐ隣に伏せて寝ていました。

しかし、ふと、視線をこちらに向けると、ひどく驚いた表情を浮かべ、慌てて、本を小さな古い鞄にしまいました。

そして、隣で寝ていた白く痩せた犬に、一言声をかけると、慌しく、田植え前の田んぼの畦道を、北へ向かって、よろけるように走り出しました。

それは、まるで何かに怯えているようでした。


私は、「一本松」から、先を先導するかのように走る犬と男の姿が、田んぼの外れの、陽に照らされた雑木林へ消えてしまうまで、ずっと眺めていました。



当時、私が住んでいた国鉄の官舎は、国鉄の山下駅から、北に300mほどの線路沿いにありました。

2階建の白いコンクリート造りの建物が、南北に並行して3棟ありました。


私の家族が入居していたのは、1番後ろの3列目の棟でした。

そして、2列目の真ん中の棟に、当時、私を弟のように可愛がってくれた純子という女子高生が住んでいました。


純子は、背が高く細身で端正な顔立ちをしていましたが、くせ毛で軽くパーマをかけたような髪型でした。

野球少年だった私が、官舎の白い壁に向けて、軟式ボールを投げていると、セーラー服を着た彼女が、帰って来ました。


大リーグボール投げてごらん


彼女は、物語や漫画の話しをよくしてくれました。

しかし、そのような話しよりも、石鹸のような清潔な香りに、いつも気をとられていました。


また、2階の部屋の窓から、前棟の2階の純子の部屋がちょうど見えました。

夜になると、ピンク色のカーテン越しに、彼女の動く姿が透けて見えて、激しく心臓が鼓動しました。



夏休みに入ったある日、純子と、近くで咲き始めた向日葵を眺めていました。


ユウちゃん「森」に行ってみよう


え?

お母さんが、「森」に行ってはダメだって


こっそり行くのよ

月が見えなくなる夜に

「森」に、白いとても美しい花が咲くの

前に、1度見たことがあるの

ユウちゃんにも見せてあげたい


夜空に月が消える日。

つまり新月の夜でした。

午前0時、こっそり純子と「森」へ行きました。

月明かりのない夜空は、いつもよりたくさんの星が、散りばめられているようでした。


「森」と言っても、雑木林に毛が生えたようなものです。

真っ暗な、竹のほかは種類がわからない樹々の間の、雑草が覆う細い路を進むと、古い木造平屋建ての建物が現れました。

あの男の家です。

すでに、明かりは消えていました。

トタン屋根の主屋の東隣に、大きな木造の物置があり、その軒下に、白い痩せた犬が伏せていました。

そして、主屋の軒先の鉢に、大きな白い花がいくつか咲いていました。


ユウちゃん

白い花だわ

とても美しい


私たちは、しばらく、強い匂いを嗅ぎながら、その大きな純白の花を眺めていました。

真ん中に大きく飛び出した雌しべがあり、大きな花びらが重なり合って開いていました。


夜にしか咲かない花よ

朝にはもうしぼんでしまう


仄暗い軒下の、白い痩せた犬は、吠えもせずに寝ていました。

しかし、私は、縁側に引かれた古びたカーテンの隙間から、視線を感じていました。

あの男が、無言でこちらを覗いてるようでした。


私の担任の若い女性教師は、以前、この男のことを揶揄するように「隠遁者」と言ったことがありました。

まだ小学生だった私には、当然、「隠遁者」の意味がわかりませんでした。


純子ちゃん

もう帰ろう


私たちは、白い花の咲いている「森」をあとにしました。

新月の東の夜空に、ベガとアルタイルとデネブの、夏の大三角の星が、美しく輝いていました。