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生かされて 生きる

2023.08.03 06:26

Facebook西尾仁さん投稿記事

生かされて 生きるや 今日のこの命  天地(あめつち)の恩  限りなき恩 

元京都大学総長『平澤 興』

---真の教育者に出会った感動で体が震えた--- 

元京都大学の学長であった『平澤 興』恩師とお会いしたのは、安保闘争の真っ只中であった。 京大が極左暴力集団達に占拠され、学長を吊るし上げている。

大きな声で学生たちに叫ばていた。

平澤 興学長が毅然として背筋を伸ばし、 「君たちの言うことは断じて聞けない 

・・今・・私が君たちに屈すると今後、君たちが社会に出てどんなことも、思い通りになると思うと困るからだ」・・・今ではない、10年後の君たちは私ががんと聞かなかった理由がわかる・・・・ とつぶやかれた。

2日間の徹夜の監禁にも、平澤 興学長は、断固として過激派学生に屈服しなかったことは有名である。

多くのヘルメットをかぶり、角材を持った学生に 「何故君たちは正しいことを言うのだったら顔を隠すのか・・ 何故正しいことを言うのに角材がいるのか?」 と静だが厳然と言い放った。

平澤学長はさらに 「今・・君たちの数の論理に屈服し、君たちに従うことは、将来の君たちに、暴力と数の論理が民主主義だと思うようになる・・・ だから私は殺されても屈服しない」と言われた。

学長を極左暴力集団から奪還したが、 平澤学長は、学生の逮捕も希望されず「10年経てばこの子達も自分たちの過ちに気がつくでしょう」 と微笑まれた。 すばらしい学長だと感動した。


Facebook矢加部 幸彦さん投稿記事·

生は死によって、死は生によって支えられるが如く、高天原は根之国によって、根之国は高天原によって支えられている。よって根之国の働きはまた産み出すことで、高天原の働きと表裏一体。故に、イザナギイザナミの両神は、永遠に共同作業されておられるのです。。


https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/youth/072 【生かされて生きる ~山も 川も 草も 木も~】より

 近所に住むSさんは若いころ脳内出血で倒れ半身が不自由だ。毎朝つえを頼りに、私の寺のお地蔵さんにお参りに来る。私もほうきの手を休め、Sさんとベンチに腰掛けて話すのが日課になっている。Sさんはお参りの後「ああ、せいせいした。これで今日も一日安心だよ」と言うのが口癖だ。そして四季折々の景色を眺めながら「ここまで歩いて来れて、こんなにすばらしい景色が見れるだけで幸せだよ。もし、今、元気で忙しく働いているとしたら、お地蔵さんに手を合わせることもなかっただろうし、山の景色が毎日ちがうことや、木の葉や草花が色づいていくことにも、つえの回りに歩き回る、小さな虫にも気づかずにいたと思うよ。負け惜しみでなく、何を見ても「ありがたい」という気持を味わえるのも、病気になったおかげだよ」と、独り言のように言う。

そして「元気なころは、おれが、おれが、と言う気持ちで生きていたけれど、不自由な体になってからは、すべておまかせだよ。花や木も私のように自分では思うように動けないから、自然におまかせで生きているんだよな」

と言う。

この地球上に住む動植物は、人間が誕生する何億年も前から、大自然の大きな力に育まれ、摂理をまもり、自然の力におまかせで、生かされて生きて来たのです。それがわずかここ百年足らずの間に、欲深い人間たちの活動により、また地球上のすべての生き物からみれば、ほんの一握りの生きものである人間の身勝手な行動により、山が姿を変え、緑が倒され、川や海が汚染され、紫外線から生命を守るオゾン層までもが破壊されてきているのです。その結果、多くの動植物が滅び、生態系が変わり、このままでは地球が滅びてしまうとういう危機をもたらしているのです。

もし他の動植物たちが口がきけたとしたら「おいおい人間さんよ、俺たちゃ長い間、生かされている自分を感謝しながら、みんなでこの地球を大切にしてきたんだ。それを新米のおまえさんたちが、勝手に食い散らかして、大事な地球をこんなにしてしまってどうしてくれるんだ。俺たちより少しくらい頭がいいからといって、自分勝手はやめてくれ」と言うに違いありません。

 お釈迦様は、お悟りをひらかれたとき「山川草木、悉有仏性」と言われました。 山も川も、草も木も、鳥も魚も、すがたかたちは異にしていても、この地球上に存在するすべての物にいのちがあり、それらは私たち人間のいのちと同じように貴いものであるということです。そしてそれらは何一つとして無駄なものはなく、お互いに認め合い、支え合って共に生かされているということです。

人間は万物の霊長という、人間中心の考えは仏の教えにはないのです。

お釈迦様は二千五百年以上も前に、今日の人間の身勝手な行動を予見されていたかのようです。

 人間も自然の一部であり、私たちを取り巻く多くの人達のおかげ、天地自然のおかげ、この地球上に生きる他の多くのいのちおかげで、共に生かされて生きているということに気づき、かけがえのないこの地球を大切に守っていくことこそ、次の世代にひき継ぐ私たちの、大切なの智恵にほかならないのです。


Facebook清水 友邦さん投稿記事

縄文時代はあらゆる自然に精霊が宿るアニミズムを信仰していました。

東南アジアでは精霊をピーと呼びます。

文化人類学者の岩田慶治はタイ族のピー信仰の展開を次の三期に分けて述べています。

1、「浮動するピー」の時期

ピーはあらゆる自然界の山河草木虫魚に出没した。

日本書紀でいわれる草木みな物いう時代である。

ピーは何処にいるのか明かでないので 巨木・巨石のもとに臨時に祭りの場を定め、供物をささげた。

ピーと人間社会を媒介する特別な宗教者は発生していない。

2、「去来するピー」の時期 は次のA.B.C.の三期にわかれる。

(A)村人の先祖のピーが選び出され村人の守護者として森の中の小祠に祭られる。

ピーの意思を代弁をする占い師/霊媒があらわれる。

(B)特定の地域のピーの勢力が拡大し地域分担が行なわれる。村と国の守護をするピーが祭られ二棟の祠堂が並び立つようになる。

神楽(かぐら)が生まれる。

ピーの意思を知る神秘的能力をさずけられた人物が村人に承認されて司祭となる。

司祭は専業ではなく日常は田を耕し、かごを編んでいる。ただ、祭りその他の宗教的行事のさいにだけ、司祭としてピーの祭儀にたずさわる。

(C)家族単位の生活が強くなり、村とは別に家ごとのピーの祠があらわれ、 そこに家の先祖のピーが祀られる。

占い師/霊媒師は司祭として確立され組織化がすすむ。

この時期のピーは祠に住んでおらず、祭りと祈りに応じてピーは村に現れては精霊ピーの国へ去る。

3、「常住するピーの時期」

都市化が進み古い親族組織の結合は解体し、村を単位とする信仰は家族単位のピー信仰へと変貌をとげる。

バンコック周辺には家ごとにプラ・プーム(屋敷地の片隅に立てられている小さな柱上祠)がある。

祠の中には神像がおかれる。

ピーは去来せず、つねに祠の中に住んでいる。

村のシャーマン、司祭はその姿を消し、都市の人々のあいだでピーは幽霊、お化けとして語られる。

もう巨石、巨木にピーはいない。

草木が物をいうことはない。

タイ、ピー信仰の展開過程と日本の信仰過程もよく似ています。

草木みな物いう縄文時代においては神殿はなく自然界すべてにカミは宿っていました。

岩や樹木にしめ縄を張り神の依代として崇めるのはその名残です。

バンコクのショッピング街にあるプラ・プームは極彩色のコンクリート製になっています。

日本もまた神社や鳥居もコンクリートが増えています。

縄文時代、先祖の墓地を中心に同心円状に集落が形成されていました。

生と死を現代の様に分けてはいませんでした。

縄文と弥生の移行期は集落の境に墓地が作られ、弥生時代からは村から離れた山の裾野などに作られるようになりました。

縄文時代はあらゆる自然界に精霊が宿っていましたが、弥生時代になると精霊は特定の時期に遠い所から村に訪れるようになりました。

そして先祖の精霊を部族の守護神として祀るようになったのです。

巫女は神がかりをしなくなり、分業化され司祭の下に位置付けられ宗教的行事は組織化されていったのです。

豊かな実りをもたらす自然に畏怖の念を持ち、祈りを捧げ森羅万象に偉大な精霊が宿るとしたのが縄文です。

自然を人間のための道具とみなし征服しようとするのが近代合理主義の考えです。

自然に聖霊はいないので祟られる恐れはなく、何をしても良く森を伐採していきました。

かくして、精霊のいない森は消え文明は滅んでいきました。

環境破壊は地球規模にまでになっています。

文明の崩壊を目前に私たちは根本的な変容を求められているのです。

縄文と弥生以後の違い

女性原理 vs 男性原理

境界がない円環構造の集落 vs 堀に囲まれ柵がある集落

仕切りのない広い空間の住居 vs 区分された住居

財産の共有 vs 私有財産

部族共同体 vs 中央集権

神話的思考 vs 科学的合理的思考

精神文明 vs 物質文明

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Facebook相田 公弘さん投稿記事【天国へのエレベーター】

スティービー・クレオ・ダービック氏の心に響く言葉より…

男は、いまや天国へのエレベーターに乗ろうとしていた。エレベーターのドアが開き、一歩を踏み入れた。ところが、そこでブザーが鳴った。「どうしたんだ?」エレベーターの中に機械的な音が響いた。

…当エレベーターは一人乗りです。重量オーバーです。

「おれ、一人しか乗っていないぞ!」

…背中に背負った人たちを降ろしてください。

男は慌てて後ろを振り返った。でも、誰もいない。「どういうことなんだ?!」男は叫んだ。

すると、今度は声が変わって、さとすように言った。

…あなたが許していない人たちが、あなたの背中に乗っています。

その人たちを降ろしてあげない限り、あなたは昇っていくことはできません。

誰でも、これまでの人生で、どうしても許せない人の一人や二人に出会っていることだろう。

ついその人がうまくいかないことを願ってしまった経験は誰にでもあると思う。

もし、それらのうちの何人かについて、ふだんは忘れていても、何かの拍子に思い出すと、いまでも当時のように、深い悲しみにとらわれてしまったり、むらむらと怒りの感情が湧いてきたり、ちくちくと後悔の念におそわれてしまうのだとしたら、それは、決して過去の人々ではない、いまもそこにあって、現在のあなたに影響を与えている。

たとえ、彼らがどれほど理不尽なことをあなたにしたとしても、そろそろ彼らを許してやることだ。

あなた自身のために。彼らに伝える必要はない。ただ、彼らの人生がうまくいくことを祈ってやるのである。そうでないと、あなたが高みに昇れない。

そしてもし、どうしても許すことができないとしたら…どうしても彼らを許すことのできない自分自身を許すことだ。

『新 自分を磨く方法』ディスカヴァー

渡辺和子氏のこんな言葉がある。

『夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」

許すということは易しいことではない。

しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。

かけがいのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。

時間の使い方は生命の使い方なのだから。』(目に見えないけれど大切なもの あなたの心に安らぎと強さを /PHP文庫)より

誰かを許さないでいると、いつまでもそのことを繰り返し思い出す。

時には、怒りで震えそうになり、時には悲しみで泣きたくなる。

しかし、何度それを繰り返したところで、過去の状況は変わることはない。

そして、貴重な時間が何度も使われ、気持ちもそのたびにすり減る。

つまり、相手にずっと支配されていることになる。なぜなら、相手は変わらないからだ。

こちらの独り相撲となる。そして、相手はなんとも思っていない。

自分の時間を取り戻すため、つまらないことに支配されないため…「許す」ことはとても大事なこと。

■【人の心に灯をともす】のブログより

https://www.facebook.com/hitonokokoro