創造105号より「未来に宛てる紙片」作:冷茶
未来に宛てる紙片
冷茶
私は、雪の積もった道をずっと歩いている。ずっと、と言うと、例えばあなたならどのくらいの時間を想像するだろうか。一時間?一日?一ヶ月・・・それとも、一年という人もいるだろうか。――そんなことよりも、まずは私の話、つまらない昔話になるかもしれないが、少しだけでいいから読んでほしい。
私は昔、小さな田舎の小さな家に住んでいた。両親―――そんなものもいたのかもしれない。私はそこで、きっとあなたと同じような、そう、いたって普通の生活を送っていた。そうだな…当時はそうは思わなかったが、今ならばあの時の生活は確かに幸せだったとそう言えるだろう。「当たり前のことが何よりも幸せ」なんていうようなそこらの教科書にでも乗っていそうなほど、聞き飽きた言葉だが聞き飽きるほど聞いたという事はそう思う人がそれほど多いという事であり、つまりそれは明らかな「正論」なのであろう。現にこの私も今、当時のあたりまえを幸せに感じているわけだし。
申し訳ない。話が脱線してしまった。私は小さな村に住んでいて、幸せな毎日を過ごしていた。少なくとも、「あの日」まで、は。
その日、尻から火を吐き出して飛ぶ幾本もの大きな鉄の柱が空を舞った。町には不快な不協和音が鳴り響くも、人々は成す術もなく、鉄の柱が地に突き刺さって大きな煙の傘が開くころには、殆どの人々は虚しく倒れていた。人々は絶望の中から希望を見出そうと、必死の抵抗を見せた。荒れた街に道を作り、廃材で家を建て、何とか村は平穏を取り戻そうとしていた。しかしながら、地に打ち込まれた楔は私たちの生を縛るかのように、生存者の体を蝕んでいった。やがて村に生者はいなくなった。
こんな結末を、数えきれないほど見てきた。もう何度目だろうか。気の遠くなるような時間と回数、私は同じ結末を見てきた。これまで幾度発狂を繰り返せども、この輪廻は終わらない。不老不死のなんと苦しいことか。たとえ世界が灰になり、人類の生み出した素晴らしくも愚かしい技術の閃光がもたらす汚い雪が積もろうとも、私は、私だけが逃れることができないのだ。もううんざりだ。何もかも投げ出して、そもそも何を持っているわけでもないのだが、楽になってしまいたい。
でも、私は人間が好きだ。人間とは、世界を汚い雪で覆いつくした人生き物であると同時に、私を「当たり前の日常」という柔らかなもので包んだ生き物なのだ。あの幸せ、あの温かさは確かなもので、それだけは間違いがない。ああ、もう今回の地球は終わってしまう。地球の自己防衛機能が自らをリセットへ導くのだ。この光景、地面が捲れあがって空へ吸い込まれていく光景も、もう見飽きてしまった。もう数分でこの地球はなかったことになる。今回は私の手記によると――六六六〇五回目の地球だそうだ。核の冬が始まって二六七年、「あの日」は西暦二〇三九年だったから、今は西暦二三〇六年か。まぁそんなこと最早どうだっていい。この紙切れを六六六〇六回目の地球で何処かに置いておくとしようか。これを拾ってしまった不幸な奴がどう思うか知らないが、私は少なくとも好き好んで六六六〇五回も汚い雪の中で捲れあがる大地を見ているわけではないのだと、そう書いておくとしよう。ああ、意識が朦朧としてきた。ここで気を失い、目を覚ませばそこは六六六〇六回目の地球なのだろう。今度こそ、こんどこそ期待しているぞ。愛しい、愚かしい、人―――。
終