あかねいろ(19)合宿所での毎日
先に風呂に入れるのは上級生で、1年生は夕食後に風呂に入ることができる。そして、入浴が終わると、みんなで洗濯をする。男子校にはマネージャーはいないので、洗濯はそれぞれ自分でやることになる。これは、1年生から3年生が、みなへだてなく、自分のものは自分で洗濯をする。この時間も悪くなく、時代錯誤の二層式の洗濯機にまずは驚きながら、適当に洗って適当に放り込んでいく。すすぎなんかも適当で、とにかく早く切り上げて8時からのTVタイムに間に合わせようとする。その空気感が高校生らしくて悪くない。
しかし、現実的には、8時からのTVタイムというのは建前だった。谷杉は「夕食後は2時間は勉強しろ」と厳命しており、全員に勉強道具を持たせてきていて、とにかく勉強をしろ、勉強をしろ、と言う。が、もちろん、それを字面通りに受け取るような正直者は1人もいなくて、はいはいといい、谷杉が見回りに来た時ようにノートや教科書を出しておいて、8時からのTVに走る。
スマホももちろんあるけど、何と言っても合宿所ではみんなで集まってTVを見る。体を投げ出して、思いっきりのびをしながら。そして、どうでもいいことを延々と話している。
時期的に、話は文化祭で何をするかが話題の中心だった。出店や出し物がどうのこうのではない。文化祭には、1年に1度、女の子が学校に来るので、それに対してどうアプローチをするかと言う話がもっぱらだった。それに対して、何某かのツテやらコネやらのある子を中心に話が盛り上がる。TVを見ていると言うよりは、TVをBGMにどうしようもない話をしていると言う感じだった。
10時になると一応消灯。これは基本的には四捨五入すればほとんど守られている。明日の朝は5時起きで、6時から朝練が待っている。さすがに夜更かしをすると言う余裕のある人はほとんどいなかった。
朝の5時起きと言うのは、谷杉が毎日起きている時間だからということだった。
しかし、これはさすがにきつかった。
僕は毎日5時半に起床する生活が10年以上続いているので、まだ起きやすかったけれど、体はさすがにどすんと重たかった。そもそも毎朝7時起きというような人たちは、とにかくしんどそうだった。
8月の後半の朝の高原は、5時半でも十分に陽は高く、その日差しは日焼けした肌を焼き、今日が昨日同様に地獄のような1日になるであろうことを知らしめる。それでいて、朝の空気は凛と張り詰め、心をきりりと引き締めてくれる。
下り道の脇の深い緑の木々は、朝の新鮮な空気を送り出し、僕らは眠い目をしながらも、歩くたびに少しずつ気持ちを整えていく。大学生と思われる、自転車の一団が早朝から坂道を登っていく。軽トラックが何台か通り過ぎ、その荷台には野菜が積まれていた。高原の朝はすでに僕らよりも先に起きているようだった。
朝の練習は2時間で、8時過ぎに終わる。メニューは昨日の午後よりは軽く、コンタクト系はなし。走ることと、タックルなしの15対15などが中心だった。ただ、最後の30分は筋トレとランニングで、日差しがだいぶ昼のそれになっている中でのトレーニングは、かなり堪えた。加えて、午前中の帰り道は、道具はおいていっていい代わりに、「走れ」ということで、みんなでジョグをしながら登っていった。歩くよりも遅いのではないか、というようなスピードだけれど、これもなかなかしんどかった。
朝練のあとにブランチでの食事があり、それが終わると昼寝の時間になる。だいたい2時間くらい。谷杉は勉強しろ、というけれど、ほとんどの人は部屋で寝る。この時間が何と言っても至福の時間で、朝練して、お腹いっぱい食べて、何も考えずに昼の練習に向けて寝る。この時間なしに合宿は成り立たないというくらい、素敵な時間だった。
その昼寝から起こされる時は逆に、この世の終わりが来たかというような気分で、また練習かという重苦しい気分になる。そして、午前中に着て、その辺に干しておいた、まだ十分に汗臭いジャージをもう一度着て、練習に向かう。
こんなサイクルが6回続いていく。不思議なもので2日目の夜あたりが体力的にピークで、そのあとはなんだかだんだんと逆に気持ちと体が軽くなっていくように感じる。体が慣れていったということになるのだろうけれど、高校生の体力は凄まじい。