琉球の空 〜ジュンと僕の物語16
ジュンが正しいことは解っていた。
ムーンビーチ周辺から、那覇へ戻る車中のこと。『沖縄には電車がない』ということから、派生した。僕が「小学生の頃、キセルをした」と話したことで、ジュンが激怒した。
「犯罪だ」
「たいしたことじゃない。数十円だ」
「それでも犯罪だ」
責められて、まず思ったのは「しまった」。次に「ジュンを黙らせよう」だ。
魔法が解けてしまった一瞬だった。
僕は結構な嘘つきだ。
なぜジュンから『イヤミ』と呼ばれるようになったのか、心当たりがなかったように書いた。
一軍追放も青天の霹靂のように書いたが、違う。
むかし、僕には別の友達がいた。小三で転校してきた『彼』は賢く、サッカーが上手く、すぐさま人気者になった。
格好いいBMXに乗っていて、将来の夢はアメフト選手かジャーナリスト。まっすぐなヤツだった。
一軍のなかでも、とりわけ僕らは親しかった。机の下にもぐって、一冊のジャンプをふたりで読んだ。
だが心中、僕は彼と競っていた。このままでは彼に敵わない。群れで埋れる。
みんなのまえでは脅したり喧嘩を売ったりして、跪かせて靴紐を結ばせたりした。彼以外にも威圧的に接した。
結果、小五の放課後に報いを受けることになる。
夕暮れどき、プレハブとフェンスに囲まれた砂利道に正座をさせられた。一軍の七、八人は僕を中心に輪となり、順に「おまえのここが我慢ならない」を投げてよこした。
そのとき、僕が思っていたのは「風が強いな」だ。
文字通り、春先の強風で砂塵が舞っていたのだ。
砂色の向こう側、輪から外れた所で『彼』が見ていた。彼は僕に、なにも言わなかった。
「おまえはイヤミだよ」というジュンの言葉。
それが、その後の抑止力だった。傍若無人だった僕をたしなめ、なだめてくれる『魔法の言葉』。
しかし、せっかくの沖縄、トオルのまえで「犯罪だ」と責められ、魔力は失われた。
ジュンを黙らせよう。
絶対に後悔すると知りながら、僕は言ってはいけないことを言った。
「キセルがなんだ。おまえは俺の親の金で沖縄に来たんだぞ」
車中が静まり返った。トオルが俯く。ジュンが石のように固まる。
「イヤミだな」は、貰えなかった。
ジュンは「金がないから沖縄には行けない」と言った。それを親懸かりで口説き倒したのは僕だ。キセルという悪さとも無関係のこと。
完全に、全面的に、僕は最低だ。
一軍を追放され、独りになり、トオルが僕に声をかけてくれたとき。「こいつは俺がどんなヤツか知らないんだな」と、「だったら自分を作り直せるな」と考えた。
最低だ。なにも取り繕えていない。
那覇に戻って南下。玉泉洞へ。悪怯れた僕は、ジュンに謝れずにいた。
手前の広場で、トオルが丸ごとのココナツを買ってきた。ジュンと僕に差し出す。くり抜かれた内側は透明な果汁で満たされていて、ストローが三本、挿さっていた。紙皿には乳白色の果肉。
「イカの刺身みたいな食感なんだ。食べてみろよ」
ジュンと僕は、そっぽうを向いたまま。ストローは交互に吸い、頑なに口も利かなかった。鍾乳洞のなかでは、冷気が突き刺さるようだった。
首里城でも同じく。
トオルは双方から話しかけられ、個別のやりとりをしなくてはならない。いかに泰然とした彼でも、ほとほと困り果てていた。「いい加減にしろ」と、叱られたような気もする。
どこでそれが解消したかというと、糸満市、ひめゆりの塔。
平和祈念資料館を巡ってより、だ。
実際に足を運び、資料を見たひとには解るだろう。
地下壕のジオラマのなか、『謝るに謝れない』や『許すに許せない』が、どれだけたわいないことか。突きつけられる。
表に出て、まずは「空が広いな」と思った。
暫くの沈黙のあと、ジュンと僕は『普段通り』に返る。
同時に僕は、ジュンとトオルに謝るタイミングを逃した。キセルのこと、暴言のこと。
奇しくも現在(2018/07/28)、キセルがニュースになっている。勿論、ジュンの言った通り、犯罪だ。あれは時効なのだろうか。こうして記憶を辿ると、いまでも息苦しい。
『自分を作り直すこと』が『取り繕うこと』だった、スタート地点。
それは、自分をオーバーホールする作業になった。新たな部品も継ぎ足されていった。
あの頃をジュンとトオルと過ごさなかったら、僕は傍若無人なままだったかもしれない。自分が最低だということにすら、気づけなかったかもしれない。
塾での会話、ミツキの「そのままでいいよ」は返上しなくてはならない。
彼は僕を諦めていた。そのことに甘えてはいけなかった。
酒井です。『書くべきか悩む事柄』の第一弾でした。フィクションとして改変はしているものの、ちょいちょい記憶に基づいています。
そして、過去記事を読んでくれたトオル(のモデル)の反応は、『懐かしくて、嬉しい』でした。こちらこそ嬉しい。そして照れ臭い。いまさらながら、いろいろごめんな。
沖縄の画像も送ってくれました。
二枚目の画像は、2018年6月23日『慰霊の日』の糸満。平和祈念公園の『平和の火』です。
祖父母の代に遡っても戦後生まれ、というひとも多い昨今。もっと記憶・記録と向き合うべきですよね。二度と再び、繰り返さないこと。
知らず知らず、戦争が忍び寄ることもあります。
八月。気持ちを新たに。
追記:トオル???
トオル!!!