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数学俳句

2023.08.04 01:55

https://gendaihaiku.gr.jp/column/764/  【フィボナッチ指数のごとく蝌蚪生まる 矢野玲奈 評者: 四ッ谷龍】より

【数学俳句 その1】

昨今、「数学俳句」なるものが話題になっていて、ときおり数学をテーマとした俳句を目にするようになりつつある。数学俳句をもっとも精力的に発表し、数学イベントにも参加して普及に一役買っているのは関悦史氏だが、それ以外にもさまざまなタイプの作家が数学を扱った句を発表するようになってきた。各俳人はお互いに影響を与えあったというわけではなく、自然発生的にそうした句を作るようになってきているのである。かく言う私も数学を題材とした句を発表しているが、まったく自発的なものであって、とくに他の誰かから刺激を受けたからではない。こうした同時多発的な現象を見ていると、俳句と数学というものは本質的なところで相性がよいのではないか、そのため結びつきやすいのではないかと思われるのである。

掲句、フィボナッチ指数というのは正確には「フィボナッチ数列」と呼ぶべきものである。

 1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89….

と続く数列で、最初の2つが1、3つ目からは前の2数字を足した数となる。中世に発見された数列だが、現代数学でも大きな意味をもつとされており、かの「黄金分割」もこの数列から導かれる比率である。足し算でどんどん数がふくらんでいくのが特徴だ。

春になって公園の池を覗くと、一匹また一匹とお玉杓子が泳いでいる。少し目をずらすとさらに何匹もが見つかり、やがて岩陰にうじゃうじゃと塊になってうごめいている蝌蚪の国に気づく。そうした蝌蚪の増殖感を、拡大する数列に結びつけたところに、この作者の豊かなウイットが感じられるのである。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/749/ 【片陰にのみこまれゆく六本木 今井肖子 評者: 四ッ谷龍】より

【数学俳句 その2】

数学俳句には、私見では三通りぐらいの種類のものがあると思っている。

 1. 数学用語や数学者の名前を折りこんだ俳句

 2. 数学理論や数学者の業績を賛美した俳句

 3. 必ずしも数学用語が出てくるわけではないが、数学的な構図が含まれる俳句

前回の矢野玲奈さんの俳句は「1」に属するものであったが、掲出句は「3」の部類に入るものである。

作者の今井肖子氏は、数学の教師を職業とする方である。そのせいか、句集を読むと表面的には花鳥諷詠といった作風に感じられるにもかかわらず、形態描写の中に数学的な把握が見え隠れするのが面白いところである。掲句も、六本木の街が太陽の傾きにつれて片陰の中に飲み込まれていく、という事実そのままの描写なのだが、見かたを変えれば「陰がつくるかたち(図形)が回転移動することによってその座標が変わり、平面の中で図形の占める面積が変化する」とでもいったような数学的命題を述べた句というふうにも受け取れるのである。街の細部を描写せずに「六本木」と大づかみに抽象的に述べたところがそのような図形的印象を強めるのだろう。

同じ句集に<アンテナの一部となりぬ寒鴉>があるが、これも「アンテナという金属製品が作る数学的体を、鴉を含んだものへと拡大する」という代数構造記述へと置き換えられそうであるし、<白鳥を動かしながら水温む>は「水流という要素と水温という要素が作る二つのベクトルが白鳥に影響を与えている」と座標系でとらえることもできるだろう。

「俳句は数学だ」と私はいつも言っているが、それは俳句を数値的に分析しようとか公式を使って俳句を分類しようとか主張しているわけではなく、俳句と数学はしばしば現実を似た視点から処理しているということを伝えたいのである。

出典:『花もまた』


https://gendaihaiku.gr.jp/column/747/ 【奈良七重七堂伽藍八重ざくら 松尾芭蕉 評者: 四ッ谷龍】より

【数学俳句 その3】

歴史上、もっとも偉大な数学俳人は誰でしょうか。じゃーん、答えは松尾芭蕉さんです(私の独断)。

芭蕉が数学的感覚にすぐれた人だったのではないかと思われる理由はいくつかあるが、ここでは「数列への関心」ということを挙げたい。掲句では7,7,8という三つの数字を語呂良く並べているし、ほかにもこんな句がある。

  桜より松は二木を三月ごし             四つ五器のそろはぬ花見心哉

  六里七里日ごとに替る花見哉            見しやその七日は墓の三日の月

  七株の萩の千本や星の秋              八九間空で雨降る柳かな

  九たび起ても月の七ツ哉

どうです、相当な数字マニアぶりでしょう。

数字を和歌に詠みこむという試みは平安時代から行われていたことで、芭蕉の発明ではない。掲句にしても、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」という百人一首にも採用された伊勢大輔の歌や「名所や奈良は七堂八重桜」という如貞の句の本歌取りであることは明らかだ。しかしそれにしても、数列への関心の徹底ぶり、数字の並べかたの手際よさ、カウントアップやカウントダウンの数的処理のうまさなどの点で、芭蕉俳句は王朝和歌や先行する俳諧の技法を超えているように思う。

掲句でも、まず「奈良七重」と奈良の都路を大きく把握し、「七堂伽藍」と特定の寺の伽藍に焦点を絞り、さらにその中の「八重ざくら」をズームアップする。画面範囲は縮小していくのに数字は七から八へと増殖するので、八重ざくらのボリューム感が濃厚に強調される。

芭蕉が江戸に出てきたころ、彼は神田上水の補修工事の事務方をやって生計を立てていたとされる。工事事務といえば、人工計算、原価管理、金銭出納など計算力が必要とされる業務ばかりであるから、現実的にも彼はけっして数字にうとくはなかったに違いない。

出典:『泊船集』


https://yakeiozu.blogspot.com/2016/10/blog-post_68.html 【俳句と数学】より

少し前の日記で小池正博の三句の渡り理論*に触れたときはすっかり忘れていたのだけれど、そのあと「MATH POWER 2016」の数学俳句イヴェントがあったせいで『連歌』の著者であるジャック・ルーボーがブルバキ派の数学者でもあったことを思い出した。

和歌、連歌、俳諧に対するルーボーの興味はそもそも数学的なきっかけに始まっている。なんでも彼は、それらが5、7、17、31といった素数から構成されている点に《詩に内包される美の秘密》が隠されているのでは、と考えたらしい。出会いって、ほんとうに人それぞれだ。

俳句----そのつど多彩なヴァリエーションとして出現しつつ、その背後にどれも等しい素数のスケールを秘めた音楽。その単純な反復性を愛しみながら、広々としたことばの世界に思うがままの、あるいは思いがけない点景を描く、その楽しさ。

おがたまの咲く土地土地を印す地図  四ッ谷龍