心の声
https://note.com/imaoemiko/n/nb1ae8fc290e5 【心の声に耳を澄ませる ~認知行動療法と俳句、そして鰻~】より
ここ1か月くらい、認知行動療法の考え方を学びながら、アプリを使って日々の気分を記録している。認知行動療法とは、心理療法の1つで、まずは自分の「感情」を捉え、それがどのような「思考」から来ているのか、その思考の癖を自覚したり変えたりすることで、うまくストレスと付き合っていくというもの(らしい)。
1日2回、アプリに「気分」を入力するその瞬間、自分の心に耳を澄ませる。嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい、怖い、イライラ、ムカムカ、感謝、不安、安心・・。自分の気分の揺れ動きを認知するだけでも、一定の効果があるという。それは、体感としても納得するところがある。
そして、この心理療法として有効らしき「心の声に耳を澄ませる」という行為。俳句を作る時に似ている、と思った。
何に心が動いたのか
先週、八ヶ岳で鰻をいただいた。芳しい香りとともに重箱が運ばれてくる。ひと呼吸おいて蓋を開ける。密かな歓声を上げる。
そこで、ふと思う。自分は何に感動しているのだろう?
蓋を開けた瞬間に目に飛び込んでくる、その姿。ツヤツヤした重箱に負けない照り。四角の中にぎっしりと詰められた、その迫力。大きなお皿の上に、大きな余白を残して盛りつけられたフランス料理とは真逆の世界観。
自分の心の中の、歓声の発生源を探しにゆく。
重箱を押し広げたる鰻かな
俳句の「伝える力」
これが意外と好評で(本当に意外だった‥)、俳人の方々から、たくさんの講評をいただいた。
〇鰻重の蓋を取ると鰻がたくさん入っているのだ。この存在感を「押し広げる」と表現している。羨ましいかぎりだ。
◎ごはんを鰻が圧倒しています。また鰻が生き生きしています。惜しみなく鰻が差し出され、主役の座を不動のものにしています。ボリューム感もあり、食欲をそそられます。
◎何という贅沢な鰻重でしょうか。重箱に鰻がぎっしり詰まっている様子を「押し広げたる」と表現なさったところがお見事です。ああ、食べたい!
〇:入選≒いいね ◎:特選≒超いいね
すごいのは、彼らはこの映像を見ていないから、17音の文字情報だけで、それぞれの脳内に(もちろん同じではないものの)映像が鮮やかに再現されたところだと思う。感動の根っこの先っぽが伝わると、そこを起点に映像がわっと広がる。
俳句の、自分の心の声に耳を澄ませる、いわば内省的な行為を促す力に加えて、それを人に伝えるコミュニケーション力の偉大さに触れると、いつも心が震える。実際は、受け手の力に依存することが大きいのだけれど。
コロナ時代の旅
今はほとんどの時間を家で過ごしているから、数か月ぶりに大きな自然に触れて、いつもと違う心の声がした。そんな小さな声に耳を澄ませて作った、あと2つ。
画像2
どちらも、自分の頭の中には実際に見た風景があって、それを見たときの感動があった。それらが17音を介して、どう伝わるのか。それぞれを、(風景を見ていない)先生の講評とともに。
渋滞を抜け出してより青田風
◎車で走っていると急に渋滞から脱け出ることがよくある。そういうときの爽やかな風を青田風と言っているのは、爽やかさが感じられ、それと共にあたりの風景も描き出せている。
夏霧や山辺の木々の深呼吸
◎夏霧の立ち籠めた中にある木々を見ていると、存分に夏霧を吸い込んでいるように思えるのだ。状景も良く感じられる。
芭蕉は、感覚を極限まで研ぎ澄ませるために旅をつづけた。俳句は、旅を友とする。だから自由に旅ができない今は、だんだんと身体感覚は鈍くなり、心の声は聞こえづらくなっていく。でも、だからこそ、細りゆく声に耳を澄ましつづけることが大事なのかもしれない。そして、電車にも飛行機にも乗らない日常の中に「旅」をつづけることが必要なのかもしれない。
神との対話@kamitonotaiwa_
悲しいときには悲しんでいいんだよ。といわれて育った子供は、おとなになったとき、悲しみは健全だと思える。だから、とても早く悲しみから抜け出せる。「こらこら、泣いてはいけません」といわれた子供は、おとなになって泣きたいとき、苦しい思いをする。だって、泣くなといわれて育ったのだからね。
三宝出版@sampoh_official
自分自身の裏の部分 未熟や矛盾を抱えた弱い自分 醜い自分 恥ずかしい自分 その自分を痛みとともに受け入れた人は弱き隣人を抱擁し 他人の痛みをわが痛みとして心温かく受けとめることもできるのです。
三宝出版@sampoh_official
苦しみ、傷ついたからこそ、歩むべき人生がある。人生に重荷を背負い、苦しみ傷ついた人たちこそ、魂の大きな器を獲得し、より充実した人生を歩んでゆくことができる。人生をそう導く一すじの道が必ずある━。
慈愛マスター@TOMMYEL77·
希望の灯火は 唯一自分だけが灯せることができ 自分だけが消せるもの
誰に何を言われても 自分が消さない限り ずっと灯り続けます
一指李承憲@ILCHIjp
希望は完全なる力です。もてるものが何もなくても希望があれば新たなことを創造できます。絶望的な状況でも希望があれば困難を克服できます。希望を選択するための前提条件は何もありません。希望は、ただ自分が選びとるものです。自ら探し、探してもなければ、つくるのです
LightSeedsZERO@light_seeds0
人生は、何を中心に据えるかで全て変わってくる。自分か?伴侶か?仕事か?家庭か?
今の自分は何を中心に生きているのか?その中心の在り方が人生観そのものを左右し、自分の周りの人間関係を左右し、全ての環境を左右する。道は沢山あるようだが行ける道は1つしかない。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
自分の本当の心の声を聞かずに他人の言うなりのままに行動してなぜ苦しんでいるのかわからずに 盲目的な行動を繰り返す大多数の人々の恐ろしさに気がついたのなら 最も重要なことはそこから逃れる事、囚われから自由になる事しかありえないでしょう。
それは肉と皮を剥がれるのを大人しく待っている羊から百獣の王であるライオンに変容する事を意味しています。
以下、羊の群れの中で育ったライオンの子が、見つけられたライオンに連れ出されて初めて咆哮する寓話「獅子の咆哮」
『羊飼い達は、毎日羊の群れをつれて、森や草原を歩きまわっていました。あるとき、川辺で羊たちに水を飲ませていると、薮のかげから小さな動物の鳴き声が聞こえてきました。
不審に思って声のするほうに行ってみると、一頭のライオンが死んで、横たわっていました。
そして、そのそばに、生後まもないライオンの子供が、死んだ母親にすがりつくようにして泣いていました。
羊飼いはかわいそうに思って、ライオンの子をつれてかえり、それを羊の群れのなかにいれて育てました。ライオンの子は、ほかの羊たちと同じように育てられました。
そして、ライオンの子はミルクを与えてくれる羊を母親だと思い、一緒にミルクを飲む羊を兄弟だと思いながら成長しました。
大きくなるにつれ、ライオンの子は、自分がほかの羊たちと少しちがっていることに気づきはじめました。
たてがみのところにふさふさした体毛があります。
けれども、ほかの羊のように全身をおおっているわけではありません。
声も羊より低音で、すこし奇妙です。それになにより、草を食べてもちっともおいしいと思えないのです。
羊は一日中草を食べて満足していますが、ライオンはそうではありませんでした。
まわりの羊たちは、ライオンの子を病気の羊という目で見ていました。
ある朝、羊たちはいつものように草原に散らばって、草を食べていました。そこに一頭の大きなライオンがやってきました。ライオンは羊の群れに襲いかかるために薮に隠れて羊たちに近づきました。そして、どの羊を襲えばいいのか、羊の群れを眺めました。
大きなライオンは、そこに信じられない光景を目撃しました。羊の群れのなかに一頭の若いライオンがいたのです。まわりの羊たちはその若いライオンを怖がるわけでもなく、一緒に草を食べながらたわむれています。
大きなライオンは自分の目を疑いました。
こんな光景は今まで見たこともなかったし、聞いたこともありませんでした。
大きなライオンは藪から飛び出しました。「ライオンだ!」羊たちは四方八方に逃げはじめます。自分を羊だと思っている若いライオンも、ほかの羊たちと同じように必死に逃げました。
大きなライオンは羊たちには目もくれず、若いライオンにむかって一直線に走りました。
若いライオンも全速力で走りましたが、大きなライオンの足にはかないません。
とうとう、追いつかれてつかまってしまいました。
全身を恐怖で震えながら、若いライオンは泣いて許しをこいはじめました。
「メエー、どうか私を食べないでください。お願いですから、みんなのところへ返してください。メエー、メエー」自分を羊だと思っている若いライオンは、哀れな声で必死に嘆願しました。大きなライオンは、若いライオンを押さえつけながら言いました。
「おまえ、なにをバカなことを言ってるんだ! 自分を羊だと思っているようだが、ほんとうはライオンなのだぞ」若いライオンは意味がわからないという顔つきで、言いました。
「私はライオンではありません。羊です。生まれたときから羊の母親のミルクを飲み、羊の兄弟たちと草を食べながら生きてきました」言葉で説明しても無理だと思った大きなライオンは、若いライオンの首根っこをくわえて近くの沼までひきずっていきました。
「目を開いてよく見ろ! 私の姿とおまえの姿を見れば、 同じだということがわかるだろう」若いライオンは、水に映ったふたつの動物の姿を見ました。それは驚きでした。
水面に映っている自分の姿は大きなライオンの姿よりほんの少し小さいだけで、まったく同じ姿でした。若いライオンは、その瞬間、すべてを理解しました。
長いあいだ、自分でも何かがおかしいと思っていました。
いくら羊たちのように振る舞っていても、そこにはいつも違和感があり何かがおさまりきれないもどかしさ、苦しさ、葛藤がありました。
一陣の風が吹き、彼ははっきりと自分自身を認識しました。
すると、突然内側から大きな力が湧きおこりました。
そして、それは抵抗できないほどの強烈さで一気に爆発しました。
若いライオンは全身をブルルッとふるわせると同時に、「ガオー!」というライオンの雄叫(おたけび)びをあげました。それは、本来の自分自身を知った歓喜の雄叫びでした。』
(「TALES & PARABLES OF SRI RAMAKRISHNA」VEDANTA PRESS)
羊がライオンに成長したのではなくてライオンは最初からライオンでした。
問題は羊の社会で育てられた為に自分の本性がライオンだと知らずに自分が羊だと思い込んでいることにありました。
ライオンは羊社会の中で育つうちに自分は羊だとプログラミングされます。
思考が作り出す羊という偽りの自己を自分と思い込みます。
自分が羊だと思っている考えが外からプログラミングされたとは全く疑いもしません。
羊の家族や羊の仲間がその考えを補強するからです。
しかし、何かおかしい変だという感覚は常に付きまといます。
周りの羊とは声も姿も違うからです。
しかし、頭にはすっかり羊社会の信念体系が刷り込まれて羊の自我が形成されています。
外からの教育や経験による条件付けによるプログラミングが脳を支配してしまっているのです。羊と思い込んでいるライオンは努力して羊を演じ続けるのです。
これが私たちに起きている事なのです。
頭の中の考えを自分と思い込んでいるのが自我です。
自分が羊だと信じ込んでいるライオンを言葉だけで目覚させることは容易ではありません。
ライオンがライオンになる為に努力する必要はありません。
羊の群れにいる若いライオンは気づいていてもいなくとも最初からライオンのままです。
自分がライオンと思っていないだけです。
最初からライオンですからライオンだという本性に目覚めるだけでいいのです。
羊と思いこんでいる夢から眼をさませばいいのです。
清水友邦著「覚醒の真実」より
羊だと思っている頭を静かにして自分の本当の姿を見ることが呼吸道です。