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予定とちがう

2018.07.30 08:46

2018年7月29日

創世記27章1−17節

族長イサクの家に生まれた双子エサウとヤコブ。

弟のヤコブが兄のエサウを出し抜いて家に伝わる「祝福」を奪う物語。

聖書に記されている物語ではあるが、

これは私たちが単純に手本にできるものではない。

手本にはできないが、私たちがよく考えなければならない内容を持っている。

何をこの物語から考えなければならないのか。


物語は年老いたイサクが自分の預かっていた「祝福」を長子エサウに譲ると

決意したところから始まる。

エサウは父からの祝福を受けるべく父の喜ぶ料理を作るため狩りに出かけていく。

その留守中、母親のリベカに促されヤコブは兄のエサウに成りすます。

年老いて目が見えなくなっていたイサクは少しの疑いは持つものの

まんまと騙されてヤコブに祝福を与えてしまう。

エサウが狩りから帰ってきて、イサクとエサウは祝福がヤコブに奪われたことを知る。

怒りを覚えたエサウは父の喪に服す時が来たらヤコブを殺そうと決意する。


この物語が示している問題とは何か。

双子がいる。

ひとつの祝福がある。

それがこの物語の材料。


これは私たちの日常にある問題。

人数に対して恩恵が少ない。

「定員」「資源」。

誰しもが欲しがり、必要としているが、

それがすべてのものに行き渡らない。

「入試」「入社」「昇進」をめぐって選抜試験があり、

「石炭」「石油」「レアメタル」資源をめぐっての競争がある。

恩恵は限りがある。 


イサクの家族はこの「限りがある世界」の中で争った。

限りがあるから人に渡すわけにはいかない。

限りがあるから私が獲らなければならない。


たった一つの「祝福」を獲得したヤコブであったが

結局は家から逃げ出さなければならなくなる。

逃走をしているヤコブがある晩、夢を見る。

天と地上を結ぶハシゴがかけられ、

そのハシゴを天使が上り下りしている。


聖書をヤコブの体験を通して私たちに問うている。

恩恵は有限である。

それを獲得すれば幸福になれる。

それはこちらの世界がしつらえた価値観。

この世界は別の世界と繋がっている。

「限りがある」に執着する価値観に対し

「永遠」を想定したらどうなるのか。

敵を作り出すことではなく、

愛を生み出せるのではないか。

物語は私たちに問うている。