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「宇田川源流」【宇田川教育論】 オンラインは出席と認められない教育のご都合主義

2023.08.08 22:00

「宇田川源流」【宇田川教育論】 オンラインは出席と認められない教育のご都合主義


毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。

 今週は「教育論」である。

コロナウイルス禍が無くなって5月8日以降は、コロナウイルスのことなどは全て「過去の事」になりつつある。しかし、よくかんがえてみれば、教育の世界では、今年度の初めの1カ月はまだ「ウィズコロナ体制」で学校生活が行われていたのであり、マスクは着用しなければならなかったし、また、座席と座席の間をあけて座らなければならなかった。給食は当然のように「黙食」であり、まともなコミュニケーションを執ることなどは全くできない状態での教育であった。

しかし、5月8日になったのちは、全く何事もなかったかのように多くの人が「コロナウイルス前」と同じような状況になっている。実際に、例えばテレビの中で今年はあまりにも暑くて「海離れ」があり、せっかくの海水浴場に人が少ないというようなことが言われているが、そのニュースも、基本的には「コロナ前と比べて」というような感じで、コロナウイルス禍があった時などは全く眼中にないようなことになっている。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは良く言ったものであるが、では学生にまでそれを援用してよいのであろうか。学生は、今まで3年間、マスクをしていない本物の表情を見ていない状態であり、お互いの顔もわからないようなことで、生活をしていた。授業も、真面目にコロナの体制を守っていた学生は、「オンライン授業」つまり「テレワーク」で行っていたのである。それも「今年度の初め」までがそのような状況になっているのである。まさに、今年度の年度の途中で「全てが変わってしまった」というような状況になっているのではないだろうか。

コロナ禍でオンライン学習解禁も...現在は出席と認められない? ツイッター情報に賛否両論...都教委に聞いた

 東京都において、コロナ禍でオンライン学習が可能になり、不登校の生徒も授業に参加できるようになったが、現在は出席と認められなくなった――。そんな情報がツイッターに投稿され、議論を呼んでいる。

 J-CASTニュースは、東京都教育委員会に見解を尋ねた。

■オンライン学習は出席として認められるのか

 議論を呼んでいるのは、2023年7月初旬の投稿。あるツイッターユーザーが「コロナ禍では出席と認められていたオンライン授業が、現在は認められないという。元に戻す意味がわからない」との旨の内容で疑問を呈した。

 ツイートは拡散され、東京都の対応をめぐって

「オンライン学習と対面学習を両方やれたらいいけどな」

「学校に行くのがしんどい子でも学べる機会を増やしてあげるの必要だと思う」

「オンライン授業、不登校だけじゃなくて入院中の子とかにも良さそうなんですけどどうなんでしょう」

「図工とか体育、理科や家庭科みたいな作業が必要な学習は、オンラインだと十分な学習は難しい」

「社会性を育む場としての役割の比重が大きいんじゃないですかね」

「学校って授業だけじゃなくて、行事の準備とか校舎の清掃とか登校してないと出来ないこともあるのでは?」

といった賛否両論が寄せられている。

 コロナ禍において可能になったオンライン学習は、現在出席と認められないのか。

 東京都教育庁総務部教育政策課の担当者は12日、取材に対して「高等学校は現在、不登校など理由に関わらず、オンラインで授業を受けてもその授業が出席扱いになることはないです」と回答。

 出欠席や単位履修については、文部科学省の規程に則って決めているという。

 義務教育と高等学校の違いはあるが、前者は学校の判断で出席扱いにすることもある一方、後者はコロナ禍においても、オンライン授業は出席として認められていなかった。しかし、欠席にカウントされることもないという。これは、インフルエンザなど指定された感染症に罹り、出席停止になる場合と同様、出席を要する日として母数にカウントしないものである。

■学びを止めない準備として「オンライン学習デー」を実施

 不登校状態の子どもは、小・中学校においては、自治体や校長の判断で、オンライン学習で学んでいれば出席扱いになることもあるという。

 東京都教育委員会では2023年度から、自宅などから授業を受けるオンライン学習訓練「都立学校オンライン学習デー」を実施している。

 担当者によると、学校にオンライン学習デーを1年に1回行うよう通達している。

 高等学校でオンライン学習デーを実施した場合は、行事と同じ扱いになるため、学校に来たことにはなっているが、授業の出席としてはカウントされないという。

 不登校の子どもたちの支援ではなく、あくまでも、新型コロナウイルスや災害などが起き子どもや教員が学校に登校できない事態を想定し、学びを止めない準備をする防災訓練に近いという。

 子どもたちは1人1台タブレット端末またはノートパソコンを持っているとする。

 都立高校生は端末を1年生から順に増やしている最中で、現在2年生まで持っているという。

■入院している子や不登校の子の扱いはどうなる?

 教育庁指導部に13日、入院などの事情で授業に対面参加はできないもののオンラインで参加したい子どもの扱いについて尋ねると「病気で療養中の生徒に関しては、文科省の方で動きがあります」とした。

 2023年3月30日に文科省が「小・中学校等における病気療養児に対するICT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について」という通知を出した。病気に罹り入院している子については、教育機会の保障として、オンデマンド型、インターネットのメディアを活用した配信で生徒が視聴した授業を各学校の校長が出席認定できるという。

 不登校の子の扱いについて尋ねると、文科省初等中等教育局が2023年3月31日に「児童生徒が不登校になった場合でも、小・中・高等学校等を通じて、学びたいと思った際に多様な学びにつながる」ことを目的に「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)を通知していることから「全く何もしないという状況ではないのだろうなと思います」という。

2023年07月29日 12時00分J-CASTニュース

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-2471099/

 「コロナ禍では出席と認められていたオンライン授業が、現在は認められないという。元に戻す意味がわからない」<上記より抜粋>

さて、もちろん学校としては。学校に多くの人が来て、その中で一括の授業をやる方が良いのに決まっている。「学校生活」という半分共同生活で友人たちとの交流というのも、一つの学習の中の一つでありその為に、オンラインはあまり推奨されない、つまりオンライン授業というのは、「コロナウイルス禍の中の緊急避難的な状況」であったというようなことであっても問題はないのかもしれない。

しかし、子供たちは、「今年度の中で、突然に基準を変える」というのはどのように考えるのであろうか。変な例を言えば、例えばサッカーの試合でいきなり前半の10分経過の時にルールを変更するようなものである。そのようなことをすれば現場は混乱することになろう。

文部科学省という役所は、上記の内容を見てもわかるように、自分たちの都合であって、学生の都合を全く感がてえいない。本来、出席にしないなどのことを決めるのも、「来年から」とすべきであり、今年度内は移行期間で「どちらでもよい」というようにすべきであろう。それくらいの融通も聞かないというのは、本当に困ったものである。片方でジェンダーなどの事で「多様性を認めるべき」というようなことを主張し、水着などは多様性に対応した男女兼用水着のようなことをしていたが、しかし、このような出席とかコロナウイルス禍からそうではなくなった時の対応など「学び方に対しての多様性」は全く認めないということになるのは、何かおかしいし、日本が世界に後れを取ることの問題点になっているのではないか。

ついでに言えば、文部科学省はいつまで「一斉にどこかの通い、どこかに集まって、一斉に横並びで学ぶ」ということを標準に持ってゆくのであろうか。登校拒否児が多いということは、当然にそのような登校システムが既に彼らの完成に有っていないということを示しているのであり、その内容を文部科学省のような役所事態で物事を変えるというようなことができない「硬直化」してしまっているのではないだろうか。

そのように考えれば、本来教育の現場も多様性、自由化が必要であるはずが、なぜそこに規制が必要なのかが全く見えない。法律が根拠と言うかもしれないが、その立法論的な目的はどこにあるのであろうか。

教育は百年の計という。しかし、このような硬直化し、時代に即した対応ができない役所が管轄しているようでは、日本は徐々に後れを取ることになるのだろう。