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ZIPANG-7 TOKIO 2020  ー きょう広島は原爆の日 ー魂よ❣ ふるさとへ【日原もとこ(故)】寄稿文より

2023.08.06 09:55


昭和生まれは、パンデミックを超えるための試練の時代だった。


広島 原爆により破壊された橋


私ども昭和の戦中生まれの世代から見ると、明治生まれの先輩たちに対しては、失礼ながら遥か昔の人種という距離感があった。


ある種の頑迷さと封建制度の名残を確りと受け継ぎ気軽な話が通じない方々。それは、尊崇感と同時に、離れ座敷に住まう方々と捉えていた感がある。


同様に…平成生まれの若い方々から見れば、昭和生まれの人種を見るとき、同様な感覚を以て位置づけているのだろうか?


とはいえ、昭和生まれの最後は1989年12月31日生まれであるけれど、翌日1990年1月1日 (平成元年に入って一番に生まれた人)とは一日遅れの違いだけだから、十把一絡げにはいかない。ある時代を語るとき、大抵は、その時代の大雑把な共通認識によって会話が成立しているようだ。


単純に時代の比較は難しい。例えば明治年間とは


天皇の在位期間で決まるので、その長短によって、印象は大いに異なる筈である。期間が長いほど、大きな出来事の遭遇率は高くなる。


左から「明治天皇」、「貞明皇后」(昭和天皇の母)、大正天皇


因みに、明治時代は明治天皇の即位式から退位までの期間 (1867年2 月13日〜1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日)となり、在位期間は45年間に及んだ。


特徴は当に武家社会と決別しての開国と西洋崇拝であり、建築や風俗に見る和魂洋才の時代であった。


銀山温泉(山形)


山形県にある銀山温泉は何故か人の心を惹きつけてやまない。銀山川を挟んで向かい合う宿群は、その独特な3〜4階建ての木造建築洋式が互いを引き立て合うからか?一軒一軒鏝絵などを採り入れた異なるファサードの演出に工夫を凝らすなど、全体的にその華かなる風情が桃山風と謳われる。


まさに大正モダンの真骨頂を醸しており、殊にプロカメラマンにとってはうってつけの被写体でもあり、若い女性群や、海外観光客からは浴衣掛けの温泉街として情緒満点の人気を集めている。


しかし、大正時代は大正天皇の即位が1912年(明治45年)〜1926年(昭和元年)7月30日の15年間だった。比較的安定した時代で、更に日本全体の洋風化が進んだと謂れ、大正モダン、モボ、モガが闊歩した時代だった。


昭和27年(1952年)渋谷駅前広場


けれども、昭和時代は天皇即位から崩御迄(1928年11月10日〜1989年1月7日) の在位期間は61年間にも及び、史上3番目の御在位となった。これもかなりの年月だから、この間はまさに激動の時代だったのである。そしてその多面的国体の変容は日本史上、曾て類例が無いほどの目まぐるしさだった。関東大震災も経験した上、度重なる戦争で大量の犠牲者を出し、遂には史上初めての原子爆弾による被災国になった。そして、完全なる敗戦国としての屈辱を味わった。

しかし、人民の立直りは目を見張るものがあったのもこの時代であった。


(中略)


さて、この辺りで断片的ですが、7歳少女の記憶から、
昭和の時代にタイムスリップしてみましょうか?


広島県 原爆ドーム(正式名称:広島平和記念碑)


私こと色紐子の小5~6年生時代に通った本川小学校は、この原爆ドームの側を流れる本川(当時は太田川)の川向うに対面するように建っていた。(勿論、原爆投下の中心地だった。) ここで学んだ諸先輩たちの消息は誰も知らない。 合掌。


本川(当時は太田川)と元安川の分岐点に冷たい川を見下ろすように建つ原爆ドーム


振返れば、

S.20年3月10日の東京大空襲、そして、全国各地への爆弾投下が相次ぎ、そして決定的な惨劇が襲い掛かりました。それは S.20年8月6日続いて同年同月、8月9日。広島市と長崎市への原子爆弾投下によって、日本は完全に敗北を認めたのです。家族、親戚一同、居間に集まり、茶箪笥の上に置かれた小さな箱型ラジオの下に集まり、畳に額をつける程ひれ伏して、ジッと耳を澄ませました。 天皇陛下は神様の存在でしたから当時は国民初体験の出来事です・・・

(詳細は本文にて・・・)


余滴

第二の故郷 山形より・・・


まんだら塾のある山形県川辺町作谷沢 雪景色 春には満開の桜が・・・


山形県 川霧の紅花畑


山形県 月山近く雪解けの5月


山形県 全域の田園風景 白鷹町の田んぼアートなども見ものです…



参考

日原もとこ氏 調査・研究活動における撮影画像より


日原もとこ シルクロード 紅花調査研究時に撮影 〈砂漠の民 舞〉


日原もとこ ジャイサルメール 街並みと色彩調査研究時に撮影 〈太陽と神と生きもの〉


風土・色彩文化研究所主宰

日原 もとこ


プロフィール

東北芸術工科大学名誉教授、広島県出身。女子美大卒。61 年通産省工業技術院産業工芸試験所技官。豪州国メルボルン王立工科大学政府派遣研究員。帰国後製品科学研究所主任研究官を経て92 年東北芸術工科大教授就任。専門は環境色彩学。このほか風土・色彩文化研究所を主宰、県建築サポートセンター社長、アジア文化造形学会会長、日本デザイン学会及び日本インテリア学会名誉会員。著書、訳書に色彩療法 (単行本)テオ・ギンベル(著)日原もとこ(翻訳)等


ZIPANG-5 TOKIO 2020 追憶~昭和の時代へ~ ・・・【寄稿文】 日原もとこ
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11540847



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(順不同・敬称略)

山形県農林水産部園芸大国推進課
〒990-8570 山形市松波二丁目8番1号 電話:023-630-2466

紅山子(こうざんし)


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