ブハラ2日目。
朝6時台には目を覚ましたが、まだ暗く、しかも寒いのでベッドの中で過ごす。
朝食付きのはずなので、7時過ぎに受付のある建物へ行ってみたが誰もいないし、電気も点いていない。他の客がいるだろうが物音もしない。
経営者が住んでいるほうの建物をのぞいてみると昨日、受付してくれた年配の女性がキッチンの床で毛布一枚かけて寝ている。
そうか。なるほど。
この人は、住み込み従業員なのだ。
・・・起こすのも悪い気がするのは私が謙虚な日本人である証拠か。
部屋に戻り、チョコバーと柿ピーで小腹を満たし、朝の街並みを散歩にでかけることにした。
寒さで凍てつく空気。静まり帰る路地を歩き、観光の中心地の池「ラビハウズ」に出る。
朝霧が漂い、視界は悪いがそれが幻想的であった。
メドレセでは朝早くからツアーの観光客らが旗を持ったガイドさんの話を聞いていた。
昨日はメイン通りを歩いたが今日は地図を見ながら路地裏を歩いてみる。
観光通りを少し離れただけで土の道路に土の壁の町並みとなり、かつての交易時代の面影がが漂っている。
確か10時がチェックアウトの時間だったのでほとんど人のいない大通りを歩きつつ、宿に戻る。
その途中、見覚えのある日本人男性と再会した。
サマルカンドで会い、少しだけ話した清水さんだ。同じくブハラへ行くと言っていたのでこれまた偶然。
朝霧で寒いのでカフェでコーヒーでも、という話になり、そのまえに私は宿に戻ってチェックアウトしてくることにした。
宿に戻ると従業員が起きていたので交渉してみることにした。
私は、まだ一日夜までブハラに滞在するため、荷物を持ち歩きたくない。しかし、一眼レフの重たく大切なカメラがあるためリュックは持っていきたい。そのため、リュックの中身だけ部屋に置いておけないか、と。
初め、従業員は「追加の料金が必要になるけど・・・」と当たり前のことを伝えたが、私が残念そうにしたためか、「いや、大丈夫よ。夕方まで使って。その代わり、良い評価を書いてくれると助かるわ。」と言ってくれた。評価とは、予約サイトのブッキング.comのことである。
(実際、帰国後、感じたままの良い評価を書きました。)
再び宿を出る。
清水さんとはラビハウズ近くの小さな軽食店兼カフェに入った。
清水さんも仕事の休みのたびに世界中を旅しているとのことで、旅の話でとても有意義な時間を持つことができた。
彼はウズベキスタンに加え、ジョージアにも行くという。
今回初めて、私は一つの旅で2カ国に降り立ったが、なんとかなるさ、という気持ちでは海外の旅に出られない性格のため、下調べの大変さはよく分かる。
1時間ほどカフェで過ごし、彼はお昼過ぎに首都タシケントへ戻る電車に乗るとのことで、バスで見送るまで共に過ごすことにした。
まず観光通りを過ぎて彼の宿まで一緒に戻る。私の宿と違い、歴史的景観から離れた一般住宅地の一角にあった。部屋を片付け、チェックアウトをし、駅へ向かうバス停へと行く。
たまたまちょうどバスが来て、惜しむ時間もなく清水さんとはお別れの時となる。
ボロボロの、しかも満員のバスに清水さんが乗り込む。
「お気をつけて!」
永遠の別れかのように、お互いに手を振り合った。
「また連絡します!」
いや、これは、・・・永遠でもあるのだ。
この旅の、この出会いも永遠に私の記憶に残っていくのだ。
視界の中で、砂埃をたてながら小さくなっていくそのバスを眺めながら、私はそう感じていた。
旅先で同じように旅人と出会ってわずかな時間を過ごし、また一人になる。
旅の中で、寂しさを感じる時間のひとつだ。
私は私で帰国まで旅が続くし、無事に続けなければいけないし、清水さんの旅だって同じように続く。
最初からお別れが分かっている出会いというのは、いざその時が来ると、いよいよか、という再び一人旅を続ける覚悟を再認識する力が必要なのだ。
一人旅の良さを私なりに味わいつくしてしているけれど、こうして一人になった時の寂しさは何度経験しても胸をつく感情である。
一人旅である以上、そのだれしもが旅の主役であり、主人公。
その時の自分の人生がどんなライフステージで、どんなことを経験してきて、どんなことを考えている今で、どうしてウズベキスタンへ来て、どうしてこの都市にいるのか。
それはひとりひとりが違う。違う人間同士が天文学的な確率で異国の地で出会い、お互いについて話し、再び自分が主役の舞台へと戻っていく。
自分の直感に従って生きていければ、これからも私は旅をし、旅先で誰かと出会い、話し、人生を垣間見させてもらい、また自分に人生に戻り、それらをお土産として持って無事に帰宅し、家族や友人に話す。
これらはとても幸せな経験であり、人生の糧だ。
幸せとは一体何なのか、そんなの考えることもなく、ここのところ過ごしてきたけれど、仕事でもいいし、買い物でもいいし、登山でもいいし、こうしたひとり旅でもいい、自分ひとりで過ごし、無事に帰宅してゆっくり寝る、これだけで幸せなのだ。
少なくとも私は。