風に涙は乾いても この悲しみは消えない
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事 ■さとうきび畑🌱
ざわわ ざわわ ざわわ 風に涙は乾いても この悲しみは消えない
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『さとうきび畑』は、寺島尚彦の作詞・作曲による日本の楽曲。さとうきび畑の情景の描写を通じて、沖縄での悲しい歴史を淡々と歌い上げる。
歌の主人公はひとりの少女。彼女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らない。やがて成長し、一人で父親の面影を求めてさとうきび畑に行く。
父はなぜ殺されたのか、なにを恐れ自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える。
「ざわわ ざわわ ざわわ」と繰り返される風の描写は、作者の寺島が1972年に日本に復帰する前の沖縄を訪れたときに感じた情景だという。
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※外務省出身でレバノン大使まで務めたが解任されて野に下った、硬骨漢。天木直人氏のブログ(2009年8月20日)より ↓
「ざわわ、ざわわ」ではじまるこの歌の舞台は沖縄中部の読谷村。1945年4月1日、沖縄戦で米軍が最初に上陸した地である。
1964年初めて沖縄の戦場跡を訪れた音楽家の故寺島尚彦氏は、「あなたの足元に今も遺骨が埋もれている」と案内してくれた人から言われ、衝撃を受ける。それから三年後の1967年にこの歌をつくったという。
以来この歌は多くの歌手によって歌われてきた。私が初めてこの歌を聞いたのは、やはり沖縄読谷村出身のテノール歌手、新垣勉が歌っていた時だった。在日米軍人と日本人の母の間で生まれ盲目歌手新垣の歌う「さとうきびの歌」は、私の心に響いた。
フォーク歌手森山良子とこの歌との出会いは単純だった。近所に住んでいた寺島氏が「歌ってみないか」と声をかけたという。そして、ここからが、今日の私のメルマガで書きたい事である。
「うたっているだけで楽しかった」20歳そこそこの森山良子は譜面をみてうろたえた。歌が長い。テーマが重い。「戦争を知らない私はうたえない。うたってはいけない」とおそれた。「できればうたいたくなかった」。
結局はレコード会社のプロデユーサーに説得されて69年にレコーディングするのだが、その後も長い間、森山良子はうたうたびに緊張し、非力さを痛感した。歌詞に想像力が及ばない。うたいきれない。コンサートでは曲目からはずしたりした。
転機は91年の湾岸戦争のころ。娘に最も手厳しい批評家である母、陽子さん(90)の言葉だった。「恋だの愛だのいっている場合じゃないでしょ。あなたにはうたわなければならない歌があるはず」
その森山良子は、01年12月、那覇市のFM沖縄で出演を終えて出ていたところ、同年輩の女性に声をかけられる。「良子さん、長い間、この歌をうたってくれてありがとうね」。彼女は泣いていた。
ああ、私がうたってきてよかったんだ。うたっていてもいいんだ、と森山良子も安心感で涙が止まらなかった。沖縄の人から初めて直接聞いた感想だった。この月、初めてフルコーラスのシングルCDを出したばかりだった・・・
平和を思う事、語ること、平和のために行動すること、それは決して楽なことではない。たのしいことではない。それはエネルギーのいる事だ。自らに言い聞かせて決意することだ。できればそんな事を考えずに日々を過ぎしたい。
私もそうだ。ほかにもっとすることがある。したいことがある。しかし、平和は人から与えられるものではない。それどころか油断をしているとたちどころに失われるものだ。そして平和でなければ人はみなすべてを失うことになる。
平和を逃がしてはならない。一人ひとりが自分の手でつなぎ留めなければならない。その努力をひとりひとりが、それぞれ自分のできる範囲で重ねなければならない。この森山良子のように。
私が平和の大切さを本当に知ったのは外務官僚を辞めてからだ。人はみな、おそかれはやかれ、最後はそれにきづく。気づくには、はやければはやいほどいい。
~転載おわり~
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心にぐっとくる歌だけど、
本当は、こんな歌が作られないような世界を創るべきなんだ。
早く気付こうよ、みんな。❤️
FacebookOSHO Japaneseさん投稿記事
問題は「私たちはなぜ愛に満ちた存在ではないのか」ということだ。
この人やあの人、友だちや敵に対して愛情深いかどうかが問題ではない。
問題はあなたが愛に満ちた存在であるか、そうでないか、ということだ。
あなたは自分のからだを愛しているだろうか?
自分のからだを愛にあふれたタッチでふれてみようと、一度でも思ったことがあるだろうか?
あなたは自分を愛しているだろうか?
Osho
FacebookOSHO Japaneseさん投稿記事
愛はセラピーだ。そして、この世界に愛以外のセラピーはない。癒やすのはつねに愛だ。
なぜなら、愛はあなたを全一にし、愛によって、あなたは世界で歓迎されていると感じ、
愛によって、あなたは存在の一部になるからだ。
Osho