偉人『熊田千佳慕』
熊田千佳慕、自らのことを「私は虫、虫は私」と公言してやまなかったグラフィックデザイナー兼絵本画家。1つの作品に時間をかけ細部まで拘り丁寧にそして繊細なタッチで徹底した観察に基づいてリアリティを追求し作品を仕上げた。彼がこの繊細な画法を手に入れることができたのはある困難を乗り越えたからである。今回は熊田千佳慕氏の逆境を自分自身の中に取り込んで新たな境地を開くことができた観察眼に着目をし話を進める。これまでに幾度も子供の観察眼の重要性について論じてきたことを思い出しながら、そこに新たにどのようにトレーニングを付け加えれば良いかを提案することとする。
1119年7月21日横浜生まれ存命であれば112さいであるが、2009年8月13日98歳で逝去した。父は耳鼻科医で裕福な家庭で育ったのであるが幼少期から成人後まで病弱であった。12歳で関東大震災で被災し第二次世界大戦を経験。彼は病弱であったため兵役に就くも病気のために除隊し兵役に就くことはなかったが横浜空襲で父を亡くし自らの生活の場も戦禍で焼き尽くされてしまい生業としていた描くための道具を全て失ってしまった。この度重なる逆境の末に新たな絵本画家としての真骨頂となる技法を手に入れていくのである。
第二次世界大戦中彼の住む街は早朝の空襲に遭い全てが焼き尽くされ困った彼は恩師の山名丈夫に相談した。恩師の山名が道具を揃えてくれることになったのだが遠慮深い彼は鉛筆1本だけを譲り受けその場を後にしたのである。通常絵を描くにあたっては何本も線を弾きながら修正を繰り返し仕上げるのだが、鉛筆1本しかない彼にとっては何本も線を引き直すことができ無い。そのため昆虫をじっくりと見て、見つめて、これだと思った線を見つけて見極めながら描くことに徹したのである。画家としての最も大きな逆境が訪れた時彼は『見て、見つめて、見極める』という観察眼を神から与えられたと解釈したというのである。以前読んだ哲学書の中で「逆境に陥った時にこそその逆境に抗うことをせず、匙を投げるかの如く受け入れると道が開ける」というようなことを書いてあったのであるが、まさしく熊田氏のこの行動こそがその域に達しているのではないかと感じた。
また彼の描く作品は繊細な色彩方法が際立っているが、これもまた戦争の残した爪痕から自分自身のものとして確立した方法である。戦時下で自由に絵の具が手に入らず中間色を表現することに困っていたある日、避難していた家の軒下で空襲で焼け残り固くなった絵の具を見つけた。しかし絵に色付けするほどの量は無く使用できそうな少量の絵の具を水で溶き、筆先に少量付け鉛筆書きするように線を1本1本描き足していった。物資に乏しい戦時下で偶然見つけた絵の具を活用することで彼の最大の特徴である繊細な色の線が生まれたのである。彼の原画を見ると絹糸で刺繍されているかのような繊細さに思わず撫でたくなる衝動に駆られる。この繊細な技法を生み出すには彼が常に語っていた『見て、見つめて、見極める』そして見たものを表現する手先の器用さが相乗し合って唯一無二の域に達したといって良いであろう。観察眼は勿論のこと筆先のわずか数本で描く器用さは幼い頃のモータースキルの土台の上に鍛錬で獲得したものであるに違いない。
これまで子供の観察眼を育てるためについては幾度となく話をしてきたため割愛し、今回は見たものを線で表現できるようにするためにはどうすべきかのモータースキルを提案していく。
線表現の獲得は乳児の頃のなぐりがきに始まる。1歳を迎えた頃からクレヨン片手にスケッチブックに向かい自由に何かを描くトレーニングに入るべきだ。昨今だと多くのものを扱う微細運動に磨きをかけるお母様方が多いが、クレヨンを持たせて表現することをなさらない方も意外と多い。クレヨンでの表現がないままプリント学習に進み、勘案な図形や数字や文字へと書くことに移行するため、目と手が協応運動の未発達のまま文字化期に移行し思うように形をとることができない状況が生まれている。本来はしっかりとクレヨンで色々なものを描く基礎さえできていれば、ものの形を捉える力も付き数字や文字図形を書く学習期に入っても美しい文字や図を書くことができる。教室の生徒さんでしっかりと1歳からそのようなことを取組んでいれば小学1年生では大人顔負けの美しい文字が書こことができる。その工程なしに描く書くの手指の微細運動を獲得することは大変難しいことである。絵が上手、書道が上手という子供達に共通しているのはこの2つの力の観察眼と手指の協応動作の相乗効果によるものである。
よって1歳児から毎日最低5分のお絵描きとものをじっと見る熟視をしっかりと行うことを重視し日々の生活を送ってほしい。何を熟視させるかはそのご家庭によるが、我が家ではまず昆虫をはじめとする生き物や多くの種類の葉や花木々、野菜や果物、行事のアイテム、美術品に限らず子供が興味を持ったものに関してはどんどん観察させた。子供が興味を持ってじっと見る種まきを乳児期からしておけば、幼児期ではその力を子供自身が磨きをかけていくことになるのである。乳児期から幼児期に愛情と手を掛け多くの経験をさせることが子供の可能性を広げることになるのだ。
さて私が子供の頃テレビ放映されていた『みなしごハッチ』をきっかけに絵本熊田千佳慕氏の『みつばちマーヤ』を読み聞かせてもらった記憶があるが、彼の作品としての認識は皆無であった。子供を産んで自分自身が親から読んで貰った作品や自分自身が好んでいた絵本や児童書を回想するかのように図書館で探し求めては手にして再読したものである。『みつばちマーヤ』もその一つで『ふしぎの国のアリス』『オズの魔法使い』など彼の作品を次から次へと息つく暇も無く辿るように手にしていた。そして彼の最高傑作といえば『ファーブル昆虫記』である。日本の子どもたちがこの熊田千佳慕氏の挿絵でファーブルの昆虫の世界を堪能できると考えるとなんて贅沢な読書時間を味わうことができ、他国の子供よりも恵まれていることに大人が気付き子供に発信してほしいものだと考える。以下の作品はフンコロガシの様子であるがなんと美しい作品であろう。是非『千人の佳人から慕われる』という意味を持つ熊田千佳慕の繊細で小さな美しい世界を堪能してほしいものだ。