徳は得なり
お坊さんのよく言うセリフで「徳を積む」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
徳を積む……善行をする。即ち人のためになるような、人を笑顔にさせるような良い行いをするこ
と。
⇒徳を積んでいると、不思議と身の回りで幸福な出来事が起こるようになります。
徳を積めば巡り巡ってハッピーなことがやってくるのです。
この仕組みは因果律と類似しているかもしれません。
善因(徳積む)があってこそ、善果(恩恵)がでる。
徳には【陽徳】と【陰徳】の二種類あります。
「陽徳」⇒周囲に明るみになる徳。
人が見ている前でゴミを拾ったり、人命救助をしたりなど。
「陰徳」⇒人知れずにたった一人で行なった善行。
誰にも称賛されないが、この陰徳のほうが返却される幸福の量が多く、幸福レベルも高い。
どちらにせよ、徳を積んでいることに変わりはないのだから、陽陰問わず善意の気持ちで積むこと
だ。
⇒街に落ちている空き缶一つ拾うだけでも幸せが降ってきます。
徳を積んだことで”返還された幸せ”を体感することによって、徳積みの素晴らしさを学び、隙あらばの精神で大小問わない徳を積めるようになる。
多くの善行を積むことによって”福徳円満”になるのです。
徳積みは幸せになる一番の近道かもしれません。
→人に尽くせば尽くすほど”得”なのです。
→与えた人が”天からの恵み”を沢山頂戴できるのです。
例えそれが自己満足や幸福目的でも構わない。
利己的な気持ちで積むのはタブーですが、最初の入口はそういった念を抱いたまま挑戦してもよいだろう。
その行動が最終的には人を助け、喜ばせ、笑顔にさせ、霊性進化の促進をしているのだから。
●徳積みに、金銭や物品などの目に見える物をあげて喜ばせる【物施】というものがあるが、それよりも知識や情報などを提供する【知施】と、悩み苦しんでいる人に霊的真理を教える【法施】の二つが大切であると仏教では説いている。
空腹で腹を空かせている子供に魚をあげるのも良いですが、それは一時しのぎにしかなりません。
その後はどうするのでしょうか?
子供は腹の虫を鳴かせて再度苦しい思いをすることでしょう。
物施ではなく……ここでは知施を行うのです。
⇒その子供に魚の獲り方を詳細に教えてあげることが大正解。
それによって子供はこれからも永遠に魚を食すことができるのだから。
●知施、法施は宗教の教義や小難しい人生哲学でなくとも、魚の釣り方やスマホの操作、数式の解き方、キレイな景色を拝める場所やオススメの飲食店の情報など……
他者が知らず、自分だけが知っていて、なおかつその情報を与えることで喜ばれる。
→これだけで知施と法施が成立するのだ。
どんな些細なことでも他者よりも詳しい情報、知識を一つぐらいもっているだろう。
それを惜しげもなく披露するのだ。
※仏教でもスピリチュアル同様、目に見えないものが重要視されている。
徳積みが習慣になっている人は【惜福】の精神を備えています。
惜福とは、文字通り幸福をあえて惜しむこと。
⇒例えば10の福がやってきた場合、そこから3の福しか受け取らないようにするのです。
少量の福しか頂戴しないことによって、やがて来る福が20、30、40、、、となって舞い戻ってくるのだ。
→そんなはずはない! と思うかもしれないが、それが真実なのだからこれ以上の説明も反論も主張もない。
大我の精神で徳を積み、その恩返しを経験しない限り徳を積むという”絶対法則”に懐疑的な思いを抱
くだろう。
しかし、騙されたつもりで一回でもいいので徳積みに賛同し実践してみてほしい。
その一回の善行が人生を華やかにし、宇宙の波動並びに魂のレベルが上がっていくのですから。