過去からのバトン
ブログを書かなくなってから随分と時間が経った。
書くことは好きなことなのだけど、どうしても必要がない限り、優先順位は高くならない。結果、緊急を要する様々な雑事に気を取られているうちに、すでに1年半以上放置していた。
忘れていたわけではない。せっかく購入した本を読まずに本棚に並べておくかのように気になっていた。放っておいたままのブログの存在にどこかで後ろ髪引かれる思いがあった。
今年も夏休みが始まり、ほんの少し、時間に余裕ができた。だから、ものすごく久しぶりにここに帰ってきて、記事を読み返してみる。で、過去の自分に腹を立てた。なぜって?「伏線回収されてない記事が多すぎる」のだ。
ブログを始めた頃は、書きたいことが山ほどあった。スマホのメモ帳に膨大に書き連ねたネタのタイトルを眺めては、せっせと日夜予約投稿を続けた。伝えたいことを文字にする時間がもどかしいくらいに。だからなのか。記事として形を作っておこうというやっつけ仕事が多すぎる(と今の私には思える)。ある程度展開が進むと「続きはまた今度」で投げやっている記事がやたらと目立つ。そして続きはどこにも無い。腹が立つ。
3年前あるいは1年半前の自分に問いただしたくなる。「で、続きどうなるん?誰が書くの?」当たり前だけど、続きを知るのも、書くのも私しかいないではないか。
別にブログをやめようが続けようが持ち主の勝手だけれど、過去の自分がやり残したこと(=「続くよ」という、読者あるいは自分自身への約束)をそのままにしておくのは、気分が良くない。まぁ、良くないとまでは言わないけど、なんだか悔しい。
書き直したい記事はたくさんある。添削したい表現も。だが、懸命に思いをつづった記録は、あえてそのままにしておくつもり。
ただ、せめて「続き」をうたっているストーリーは、過去の私からバトンを受け取っていってもいいかな、と思う。
「続く」記事をきちんと終えることで、当時よりほんの少しは成長した自分に会えるかもしれないので。