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IDEA COLLAGE

こぼれたビールとリーダーシップの話

2016.01.20 07:00

以前居酒屋で客の前でビールをこぼした店員を見ました。

バイト始めたてっぽいメガネで坊主の新人の店員さんで、端から見てても「それいけるか〜??」って数のビールジョッキを運んでいたところ、案の定バランスを崩して、あご髭グラサンのお客さんの前でこぼして、かけてしまう。

という感じでした。

その後、そのあご髭グラサンは

「気ぃつけーや!!お前、ビールかかったやないかい!!!」

「お前、一気にそんな持つからこぼすんやろ!」

とブチギレ。メガネ坊主は平謝り状態でした。

僕はそれを見て、

「誰だって失敗はするんだから、許してあげればいいのに。僕が客だったらそんな怒んないな」

と思いました。

一時は、これが成熟した大人としての正解の考え方で、自分が我慢できるのなら自分が我慢すべきとも思ったんですが、もしかしたらあご髭グラサンのポジションも必要なんではないかと思い始めたんです。

「ビールがこぼれて、服にかかる。」

この事象を自分にフォーカスを向けると、

「不運だった。洗濯しなきゃ。」で済むんですが、

相手にフォーカスを向けて、

「何個も同時に運ぶことがミスを招くのだから、今度から分けて運んだ方がいい。」

といったようなことを言えれば(あご髭グラサンの言い方には問題はありますが)、メガネ坊主の成長も促せ、大げさですが店のサービスのクオリティが上がるって訳です。

組織のリーダーをやる人は、自分だけでなく人も動かさなければなりません。

他人の成長を促すことも必要なリーダーになる上では、

相手にフォーカスするというあご髭グラサンマインドも持ち合わせていないといけないのかなぁと思いました。

今は「自分が成長できればいい。」「自分は受け取る側で、学び取る側だ」とある意味自己中に考えているが故に、

「自分が我慢すれば済む。メガネ坊主を許してあげるが自分の成長に繋がる」

と思ってしまうのですが、

いずれは「相手の成長をも促せる」力も必要になってくるのかなと思いました。




結果どっちが悪いって訳ではなく、ビールがこぼれたことを自分のこととして考える人と、相手のこととして考える人がいるってだけの話です。