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「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 日常の老夫婦

2023.08.18 22:00

「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 日常の老夫婦

 本日から「お盆休みの怪談」として、お盆休みの、政治や経済があまり動かずに、様々な仕事が停滞している時期に、今まで書いていた会談などでその話をしてゆこうということを考えている。このまま20日までこの会談企画をしようと思っているのでよろしくお願いします。

 日常は退屈だ、という人がいます。しかし、毎日同じであるからこそ、よいことも少なくないのかもしれません。毎日同じことをしていると、それを行わないと何か違和感を感じます。マラソンや、トレーニングなどはそのような中の一つでしょう。習慣化というようなことを言いますが、その習慣化されたものは、なくなった後も、魂に刻まれているのかもしれません。特に、固いきずなで結ばれた老夫婦にとっては、そのような習慣が「二人の証」なのかもしれません。

 日常の老夫婦

 被災地も、震災から半年たつと、かなり落ち着いてきていて、私たちも仕事をするようになりました。とはいえ、福島にいる私たちにとっては、単に震災や津波の被害だけでなく、福島県特有の原子力発電所の放射能の問題があり、そのことはなかなか収まりませんでした。いや、実は今も終息していないのかもしれません。ちょうど、震災の年の夏は、かなりひどかったので、自殺者が出たり、先が全く見えない状態でした。

しかし、翌年になると、そんなことは言っていられません。片方で原子力発電所が非常に憎いのですが、もう片方で、原発反対派などが原発の危険を強調し世界に発信してしまうために、風評被害がより大きなものになってしまっているのではないかと、冷静に考えるようになってきました。

私たちは、放射能の危険地帯には入っていませんでしたが、それでもさまざまなものに影響が出ました。福島県は地震・津波・放射能と三重苦で働くこともできなければ、それまであった在庫や今実っている農作物を売ることもできませんでした。農業は、さすがに二年も収穫がなかったりあるいは収穫があっても売れない状態だと、生活もできません。そこで、私たちは、暇な時は集団で瓦礫の片づけなどに行くようにしています。福島県だけは、他と違って放射能の汚染などがあるために瓦礫の片づけができていません。あまりお金もないので、一か所に集まり集団でバスで行くようにしています。

バスは、内陸の私たちの町から、沿岸部に行きます。そして夕方まで瓦礫の整理や分類をして戻ってくるという感じです。一応農作業をしながら、暇な時間そのようなことをしていました。

沿岸部に行くとものの見事に何もありません。一年半も津波の日から経っていて、全く復興ができていないというのも驚きです。あの日から何も変わってないという感じはさすがに悲しい気がします。完全に更地になってしまって、そこに雑草が生えてしまっているところが、昔は人が住んでいたと思うと、何とも言えない気がします。

そんな時です。

「あれは?」

前に座っている人が斜め前を指さしました。

「何が」

「あそこに……」

前の人は、不思議そうな顔をしました。

「あれ、確かに人がいたような気がしたんだが……」

このルートで走るときはたまにあります。ボランティアやあるいは津波の跡に家族の戸籍などを探しに来る人が雑草の陰から出てきて驚くことがあるのです。震災の少し後には心霊話のような話も少なくありませんでした。実際に人がいるのに幽霊にされた話なども少なくありません。しかし、さすがに一年以上たった時になったら、そのような話も少なくなりました。それでもたまに、このような話はあるのです。

なんとなく納得いかないまま、瓦礫の作業をしていました。翌日は他の人が同じ場所で同じようなことがありました。しかし、マイクロバスの中の一人が錯覚のようにそのようなことを見ているだけです。ススキの間にそのようなものが見えたのではないかとか、尊感じで続いていたのです。

しばらくして、あるとき今度はバスの右側の人ほとんどがその姿を見たのです。そしてその中の一人が急に震えだしたのです。

「あ、あれは」

渡しにも見えました。そこには老夫婦が手に手を取り合って歩道で何かを待っているかのように立っていたのです。

「お知り合いですか」

「いや……ああ、そうか」

「どうしたんですか」

「貴方にも見えるのですか」

「はい、おじいさんとおばあさんが立っていますよねえ。仲よさそうに」

「あのお二人は、実は亡くなっているのです。」

「えっ」

「昨年の津波で二人ともご遺体で見つかりました。とても仲の良い夫婦で、いつも一緒にいたので、たぶんこの場所で津波に巻き込まれたのでしょう」

「では、どうして…みなさん見えているみたいですが」

バスの中は「なくなっている」という言葉ですこしざわざわしはじめました。みな信じられないというような声を上げていました。逆に言えば、それほど老夫婦は実在するかのように見えていましたし、また、世に言う幽霊というようなおどろおどろしさは全くないという感じで「存在」していたのです。

「ちょうどあそこはデイサービスの送迎の待ち合わせ場所だったのです。」

「あんなに何もない場所が」

「津波でほとんどなくなりましたが、あそこは、町の中だったんですよ。デイサービスの送迎車を待っている間に津波に巻き込まれたのでしょうね」

「他の人はどうしたのでしょうか」

「さあ。私にはわかりませんが、あのお二人はお互いを心配していましたから、そのことが心残りであのようにして出てきているのではないでしょうか」

全く幽霊というような感じがしない、不思議な幽霊でした。今でもあの二人にはあのまま時間が止まっているのでしょう。