【日本橋 河岸】行徳河岸
2018.08.04 11:14
河岸名:行徳河岸
読み方:ぎょうとくがし Gyōtoku--gashi
区分:河岸
成立:江戸期
廃止:1971(昭和46)年
現町名:中央区日本橋小網町
概要:『江戸切繪圖 : 俚俗 : 小網町・箱崎・浜町辺』の箱崎川北側、箱崎橋から稲荷堀までを呼んだ。『御府内備考』の小網町三丁目の項の里俗呼び名に「行徳河岸。東横町を云」とある。対面は山谷河岸。
1632(寛永9)年に南葛西郡本行徳村(現・千葉県市川市)の村民が小網町三丁目先の河岸地を幕府より借り受け、江戸と行徳舩場間で輸送を開始して以来、「行徳河岸」と呼ばれるようになった。「行徳船」、「長渡船」、「番船」等とも呼ばれた。当初は行徳塩田で作られた塩を江戸へ運ぶための運航だったが、次第に他の物資の輸送、旅客にも転じた。定員は24人。当初は16艘ほどであったが、1671(寛文元)年には53艘、嘉永年間(1848~1853年)には62艘となった。就航時間は毎日午前6時から午後6時まで。とくに成田山新勝寺の参詣等で房総に向かう多くの人々が箱崎川を使ったという。
なお、箱崎川は高速道路及び東京シティエアターミナル建設のため、1971(昭和46)年に本流が、1972(昭和47)年に支川が埋め立てられて消滅した。
撮影場所:行徳河岸