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拉致断絶との戦いの日々

その日は,ある日突然にやってくる

2016.02.02 14:50

2016年2月2日のこと

(承前)「プロローグ-いつもの朝は最後の朝」

帰らぬ妻子

私はいつものように息子からリクエストのあったメニューを含め,夕食の準備をしていた。

その日の保育園の迎えは妻の番であった。17:15~17:30の迎えだから,徒歩圏内の保育園から18:00には戻ってくる筈だ。

妻から日頃聞いていた話では,妻がお迎えの時の息子は,マンションのエレベーターを降りると「パパ居るかな?」と楽しみにし,インターホンを押しているとのことだった。

しかし,その日は一向にインターホンが鳴らない。

僅かな距離の帰り道の途中に寄り道するような場所も無い。19:00になって,心配になり妻の携帯に電話したが,応答は無い。メールにも返信が無い。

19:30になり,保育園に電話した。転送された電話に園長が出た。「いつも通り帰りました。」とのことだった。

徹夜の捜索

20:00になり,最寄の交番に相談に行った。何か妻子が事故に巻き込まれたのでは無いかと思い,交通事故などの情報を調べて貰った。区境に位置しているので板橋警察署管内だけでなく池袋警察署管内も調べた。

自宅に戻っていないか,何処か寄り道の途中で事故に巻き込まれていないか,交番に何か情報が入らないか?交番を拠点に必死に探し回った。

21:00にもう一度,保育園に電話した。やはり園長に電話が転送された。園長は「いつも通り皆帰っています。何事もありません。」という返答だった。

板橋区認定保育園旭保育園園長のこの返答は,私が朝に預けた15分後に妻が保育園から息子を連れ去ったことを隠避し時間を稼がせた拉致幇助行為の虚偽であるが,後日,一切電話など受けていないと更なる虚偽を主張し始めた。「当日,私が交番から園に電話した記録がとれる」と説明しても,人前では虚偽を貫いていたが,その後,突然の電話で「やっぱり私が電話対応してたわ」と虚偽を自白した。

22:00頃から,私は妻子が心配で,あても無く走り回って探していた。

コンビニ,ドンキ,ファミレス,公園,立ち寄りそうな場所,妻の自転車がどこかで倒れていないか無事を祈りながら半ば半狂乱で走り続けた。

妻が腸閉塞になった時,急な出産になった時など,義母や義妹には,直ぐに連絡をすることが出来ていたが,この日は連絡が付かなかった。前月にも急に19:00過ぎになってから幼い子供を連れて外泊すると言い出したことが一度あった。子どもを精神安定剤として連れ回すのは,やめて欲しいが,何より安否だけでも知りたいと必死に探し続けた。

深夜3:00,派出所の警官より,朝になったら本署に捜索願を提出しに行くように促され,交番を拠点とした捜索活動は打ち切られた。

一睡もできないまま,夜が明けた。

【画像】妻へのメール,四半世紀を共に過ごした妻からは,この日以来,何の返答も無くなった。

(続)→「【1日目】離婚弁護士達との闘いの始まり