梟の神は自ら謡う
この間岩波文庫のコーナーをぷらぷらしていて
見つけてしまった『アイヌ神謡集』と『おもろさうし』。
この二冊は、日本の一番北の神歌と一番南の神歌を収録した本。
昔から、日本語のルーツ、和語、古語、方言…など、
そういうジャンルの話はとても好き。
だからもちろん、アイヌ語と琉球語にも興味があって、
私の中の「何となくほしいけどいまだに手が出せてないものリスト」には、
『アイヌ語辞典』・『琉球語辞典』(ともに発音DVD付きのもの)が
常にランクインしている。
ちょい高いから、いつかいつかと思ってるとこうなるのよねぇ。
こんな時、可愛くおねだり攻撃とかが得意だったら…。
…って冗談で友達に言ったことがあるけど、
「あんたはおねだりの内容がマニアックすぎて可愛くない。」
と一蹴されてしまった。はい、ごもっとも。
しかし世の中、「あのバッグほしいの~」は許されるのに、
「あのアイヌ語辞典ほしいの~」は許されないのか。
よっぽど有効に使うのに。
ちぇっ。
まあ、高い辞典はおいといて、
なんといっても今回目が合った
『アイヌ神謡集』と『おもろさうし』は文庫なので、安い。
ここで会ったが何とやら(←違う?)で買ってしまった。
(これが積もり積もって本びんぼーになってるのに懲りないんだわ。)
今、その中でも一番お気に入りなのが
『アイヌ神謡集』に載っている、梟の神が謡う歌。
"Shirokanipe ranran pishkan,
Konkanipe ranran pishkan"
日本語訳すると、
「銀の滴降る降るまわりに、
金の滴降る降るまわりに」という感じ。
ちょっと幻想的なイメージが喚起されるのがいい。
アイヌ語というのは、基本的な仕組みは日本語と共通してる部分が多くて、
一つ一つの単語も、日本語との繋がりが何となく見て取れる。
でも、その音の響きはとても不思議で、
半分既知で、半分未知のものに出会ったという感じ。
この「半分既知で半分未知」という感覚は
日本の古語にも琉球語にも言えることで、
それがなお幻想的で好きなのだ。
で、今回、この梟の神の歌を小作品にしてみた。
古代文字で梟と添えて。
まだ仮パターンで何種類か書いてみてる段階ではあるけれど、
作品としていつか展示に出してみたいなぁと思っています。
うーん。上の方がいいかなぁ。