帝釈峡吟行(その2)
帝釈峡には神龍湖という湖がある。
まるで、龍がそのまま沈んだような、複雑な形の湖だ。
朝、まだ白い景色の中をその湖へと向かう。
近くの駐車場に車を止めると、
数十年前から時間の流れが止まったような土産物屋があった。
でも、店は開いており、そこには人の生活もある。
橙に土産物屋の埃かな
その前のバス停には、数人の人だかりが出来ている。
輪の中心には、焚き火があって、ごとりごとりと薪が足されていく。
山の朝は寒くて、みな引き寄せられるように集まっていた。
そこでは、だれもが皆一様に火を見つめていた。
掌にも大小や落葉焚
焚き火から離れ、神龍湖の周りを歩く。
橋が掛かっており、見下ろすと遙か下に
ぼんやりと靄に覆われた湖面が見えた。
橋の上には釣り人がいる。
風のない靄の湖に、長く長く糸を垂れている。
白い湖面から、いったい何が上がってくるのだろう。
じっと見ていると、まるで雲の中へ釣り糸を垂れているようで、
この糸はカンダタの元へと届いているのかもしれない、などとふと思う。
冬凪や釣り糸のただひたむきに
橋を越えてさらに進む。
白い景色の中を縫うように、
蛇行しながら、且つ上下しながら道は続いていく。
来た道ははっきり分かっているのだけれど、
靄のせいで距離感までも曖昧になる。
石段を踏み冬靄の底へ底へ
白い景色へ自分もまた沈んでいくようだった。
帰り着いた時には、手足がすっかり冷えていた。
風も少し出て、日が高くなり、靄もどこかへ吹き払われたようだ。
冷えた手を抱くようにして、
一人だけ、先に古い宿屋に入る。
外を歩く人の気配と遮られ、
屋内は静寂でほんのりと温かい。
風音はよそ事となり冬座敷
差し出された座布団に、ほうっと息が漏れた。
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