教え子からの手紙
学生の頃、私は何件か家庭教師をしていたのだが、
その時の教え子から、突然葉書が届いた。
その子を教えていたのはもう11年も前のこと。
もうずっと連絡を取っていなかったので、
名前をみて「あ!」といううれしい驚きとともに、
懐かしさがこみ上げてきた。
少し大きめの絵はがきの半分に、びっしりとメッセージが記してある。
いま、その子は教員免許を取るために頑張っているのだという。
中には、私が当時その子へ
"素直さ"は"流されやすさ"につながるのではなくて、
"自分自身の主張"へとつながる
と言ったのだと書いてあり、今でもその言葉が励みになっているとあった。
前後の細かい経緯は定かではないけれども、
その当時、その子が学校で言われたということ、おそらく「もっと自己主張を」
というような内容を受けての話だったと思う。
決してイイカゲンに話をしたわけではない。
私は確かに、その子の一途なまでの「素直さ」を本当に愛おしく思っていた。
私は昔から「素直」という素質をとても愛している。
いろんなものを受け止め、吸収し、消化し、自分のものにして行くには
「素直さ」が必要不可欠だと思っているから。
最初から単なる好き嫌いだけで多くのものを突っぱね、
"排除"しようとする人間に本当の「自己」は育たない。
たくさんのものを柔らかく受け入れていく中で
初めて自分自身にとって大事なものが見えてくるし、譲れないものも出てくる。
それが「自己」につながるのだから。
「素直に生きる」という事には、実は多くのものを受け入れるための
とても強靱な精神が要るのだと思っている。
そう、私は、当時その子に「素直さ」という一種の"才能"を感じたし、
その素直さは必ず豊かな「自己」につながると思っていたのだ。
だからこそ言った言葉。
私が言ったその言葉を、その子は自分の糧にしてくれていた。
なんだか涙が出そうなくらいうれしかった。
自分の言葉が響いたからの嬉しさではない。
私のつたない言葉を自分の糧に出来るほど
「素直」なその子の才能が本当にうれしかった。