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花をもて祀る

2010.04.14 15:00

花の咲く少し前に
祖母を見送りました。九十歳でした。

正月明けから入院していた祖母は
もともと食が細かったのもありますが、
三月くらいからだんだん食べ物がのどを通らなくなって来ました。

病院の食事を残して
イチゴが食べたい、桃が食べたいといった
小さなわがままもそのころにはすでに言わなくなり、
私もお見舞いに行った折に
「何がほしい?」とも聞けなくなりました。

ただこちらの言うことにはちゃんと
応えてくれるし、
「これ、幼稚園の子たちが作ってくれたのよ」
と折り紙のメダルを見せると
「よかったなあ」と
細い声で返してくれていました。



ああ、もうすぐ桜の花が咲く。

そうしたら、病室にあの薄紅色の花を一枝もっていこう。


遙か昔から私たち日本人が
生命あふれるものの象徴としてかざしていた花を、
あの病室へ運ぼうと思っていました。


三月末の仕事を終えての帰り道。

何か知らず、運転中にほろほろと涙が出てきました。

何と思うことなく、車を病院へと向かわせました。


「来たよ」


そう言うと、祖母は何か言いたげに、口を動かそうとしますが、
声になりません。

頭を撫で、手を撫で、

「どこか痛いところがあるの?」

と訪ねると、いやいやと首を振ります。

「しんどくはない?」

と訪ねると、うんうんとうなずきます。

祖母は突然、鼻の酸素チューブを外してしまい、
そしてまた何か言おうとしたように見えました。

私は慌てて看護士さんを呼んで直してもらいました。

落ち着いた祖母はしゃべろうとするのをやめ、
今度は、両の手を合わせる仕草をはじめました。

何度も何度も。

まるで、ありがとう、ありがとうとでも言うように。


看護士さんが

「落ち着いてるし、あとはいいですよ」

そう声を掛けてくれて、私は病院をあとにしましたが、
祖母の呼吸が止まったと連絡を受けたのは
その数十分後のことでした。



 花の時には花をもて祀る



大学の頃出会った古い言葉を思い出します。

祖母に今年の花を見せることはできませんでしたが、
今、桜がまるで手向けの花のように、
この谷を埋め尽くしています。