「北大路魯山人展」
ゴールデンウィークおでかけスペシャル。その3は"吉兆庵美術館"。今回の展示は、学芸員をしてる友達が企画したもの。
わたしのこよなく愛する和菓子屋さん「源吉兆庵」に美術館があるんです。(つい最近までしらんかった。笑)さすが吉兆庵というか、魯山人や備前の名工や、いい器をたくさん持ってらっしゃる。我が家の愛読書『家庭画報』に出てる広告、「いつもいい器にお菓子載せてあるなぁー」と思ってみてたけど、あれ、所蔵品だったのね。すごいなー。友人が丁寧に解説してくれて常設エリアの、備前焼の歴史やその人間国宝5人の人柄や作風の違いも楽しめました。藤原啓さんて、かわいいわぁ。で。本題の特別展「魯山人」。もともと「書家」として活動していた魯山人のその筆遣いにスポットを当てた展示というのが面白いんです。そういえば、本阿弥光悦も自身「書家」だと言ってたっていうよねぇ。今回の展示は、"書作品"と"文字を書いた陶磁器"と"文字以外を筆で絵付けした陶磁器"とを対比することができるように並べてあります。そういえば私自身、陶芸家としても活動していたときに言われて一番困ったのが「お皿に文字書いたらいいのに」ということ。私の中で、陶磁器に文字を書くというのが、お洒落に思えなかったんです。文様として、デザインとして。美しさという観点から、決して有利ではないという感覚。文字として書いた時点で、そこには文様やデザインとしての美しさよりも、文字であるからこその"意味内容"や、文字の巧拙が先に立ってしまうから。だから、文字を書いてある皿、というのは今ひとつ好きになれませんでした。ただ、今回少し、もしかしたら…と思うことがありました。魯山人ももしかしたら、私が思ったようなことを感じていたかもしれないということ。彼は、文字そのものを陶磁器に書くときに、多く「かご文字」という方法を採っています。文字の縁を細い線で囲んでしまう方法。それはある意味、筆の線を殺してしまうことであり、囲んだものを単なる「文様」にしてしまう方法かもしれないな、ということ。文字そのものの意味内容や巧拙が前に出ることを、嫌う人の手法かもしれないなと。だから、彼の器は文字が書いてあってなお、軽やかに使えるものになったのじゃないかと。そして、むしろ"書作品"と同じような息づかいを感じられたのは、"文字以外の文様を筆で書いた作品"だったのです。すうっと伸びやかに入った順筆の動き、アクセントのように入った逆筆の動き、そういうものは、単純な文様を付けた皿や茶碗などに生き生きと感じられるのです。ま。本当の所は、本人お亡くなりになってるので確認のしようはないんですけども(笑)今回の展示は、私自身の書家としての目線や、かつて陶芸家として活動してたときの目線や、その両方を通して感じていた感覚や疑問に、いろいろな刺激を与えてくれるものでした。いいなぁ、吉兆庵。私設の美術館であの充実ぶり。あーーーー、そろそろ桃泉果たべたい季節だなー(*´ェ`*)