書き付け花
今回、読売書法展のために選んだ歌は与謝野晶子の歌。どちらも歌集『舞姫』に収められています。 かきつばた扇つかへる手の白き人に夕の歌書かせまし 夏祭よき帯結び舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ二首からなる書作品は、"かきつばた"で書き起こします。曲の序章のようにそっと。傍らに置く硯にも、そのかきつばたの花が一輪。この歌を書くために、歌に合った硯を選ぶというのは何か嬉しく、少し心に贅沢をさせてあげることができる気がします。「書き付け花」に由来するというその花の名は書をする人間の傍らにあることに、あまりにもぴったりとして。 *かきつばたが登場する文学・芸術作品は数ありますが、たとえば尾形光琳の国宝『八橋蒔絵硯箱』といえばおそらく日本で最も有名な硯箱。その八橋図は、かの有名な『伊勢物語』の東下りを意匠化したものですからそこには言わずもがなのかきつばた。 三河の国八橋といふ所に至りぬ そこを八橋と言ひけるは水ゆく川の蜘蛛手なれば 橋を八つ渡せるによりてなむ八橋と言ひける その沢のほとりの木の陰に下り居て乾飯食ひけり その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたりそして、例の「唐衣…」の歌が詠まれるわけです。光琳が『伊勢物語』を踏まえて八橋図を描いたというのは周知の事実ですが、それが"硯箱"であることを思えばかきつばたの花の名が「書き付け花」に由来するものだということも当然、念頭に置いての事だったのではないかなと思うのです。かきつばたの名が"書き付"に結びつくということは古く『万葉集』にまでさかのぼれると、かの国学者・荒木田久老も言い及んでいるそうですから。かきつばたの花はまるで「書く」ということの枕詞のように響くのです。 *まさか国宝『八橋蒔絵硯箱』を傍らに置くなど叶いませんが(笑)かきつばたの硯は、私の筆の進むことをそっと後押ししてくれる気がして。かきつばたの歌を記すにかきつばたの硯を以て「書き付け花」の名のごとく。