『月下の一群』
- 今宵月の中にヴイオロンの歌ふや如何に - (堀口大学『月下の一群』 ジャン・ラオオル「月の中の漂泊人」より)月あかりの扇子に、詩の一節を書きたくて私の中で扇面のバランスと、詩の言葉とのバランスがすうっと自然に繋がったのが堀口大学『月下の一群』にある、フランスの詩人、ジャン・ラオール「月の中の漂泊人(さすらいびと)」のフレーズ。これをいざ書くとなると、手元に資料としておいてある現代版の『月下の一群』ではなくどうしても、初版本が見たくなってしまった。これは大学時代、文学部で身に付けてしまった癖みたいなもので、特にこの時代の作品、そして、特に訳詩集というカタカナ表記が多いジャンルとなると、初版と現行の本とで、本文の表記に異同が見られることが多く、その差が気になってしょうがないのです。教室には主に参考資料としての文庫版の本を置いていますが母が本の虫だったお陰で、我が家には初版復刻本がわりとたくさんあるので、普段なら、自宅の本棚を覗けば済むこと。ところが、上田敏『海潮音』や、永井荷風『珊瑚集』などはあるのに、なぜか『月下の一群』が見あたらない。こうなると、益々気になる。行ける範囲の図書館を当たってみても、地域性なのか・・・悲しいかな、そんな貴重本は地元になく・・・・こうなると、もっと気になる。しょうがないので、図書館の職員さんと話して、国立国会図書館の初版本データベースにアクセスしてもらった。で、ひとまず確認は済んだのだけれど、調べてる課程で、これ、かなりの豪華本だったことがわかり・・・・こうなると、気になるどころの話じゃない。結局、買い求めてしまいました。あああああ。ワンフレーズ書きたいがために、この手間、この出費、どうかしている、私。
でも、ほら。今ではまずやらないであろう、恐ろしく美しい装丁の本。中の用紙も透かし文様の入った特別あつらえのもの。データベースではその重みも質感も感じられません。これが手元にあるというのは、何か、宝物を手に入れた、そんな気持ちになるのです。そして、作品に取り組むことが、一層うれしく感じるのです。