若冲に会いに行く
膨大な量のものに出会うと、混沌とした頭の中が落ち着いて、上澄みができるようになってからじゃないとなかなか文章に起こせないもので、そう言う意味では、オンタイムでぽんぽんアップする、今のSNSに付いて行けてないなと思うのです。私は。もうね、"思索"や"思考"の時間が取れないでしょう。"沈殿"とか"上澄み"とかを待つ。そんな時間が好きなのに。なんでだか書道業界では私でもIT強いみたいな扱いになってるけどコンピューターの仕組みなんてさっぱり分かってなくて「文章を書く」ための道具として筆やペン意外にキーボードも使うという程度なのだから、それって基本思考がアナログだよなーと思うのです。***それでね、何が書きたいかというと。実は、4月の末に急遽びゅーんと日帰りで東京へ伊藤若冲に会いに行ってきたのです。(そのアップが異常におそい言い訳です。笑)
http://www.tobikan.jp/exhibition/h28_jakuchu.html去年、ミホミューでみた若冲の「象鯨図屏風」があんまりすてきだったから、今度は「動植綵絵」をぜひ見たくって。見事としか言いようがないのです。きちんと対象を捉えて描く画力は、絵師として当然必要なものだけど、若冲のすごいのは、その描写力よりも捉えた対象を画面の中で自由自在に再構築する「設計力」に近いものじゃないかと思うのです。鶏の羽の一本一本、いや、筋肉の繊維一本一本に至るまで、思うままに再構築する力。むむーーー。変人めー(笑)それから、細部の描き込みがすごいのはよく言われることだけど、僅かな質感の差まで表現しようとする凄さ。鸚鵡の眼玉なんて、何使って描いたんだ、あれ。鶏の眼や鶴の眼とは違う、ツヤツヤとした真っ黒いガラス玉みたいなあの質感。鸚鵡の眼がきらっと光った時には、一瞬生きているものと眼が合ったと思ってドキッとしたわー。ホントに。同じ「眼」でも、同じ「黒」でも、同じ「表現」じゃない。形や色あいだけでない「質感」の差は、直に見なくては決して分からないところ。前回は、「白」の使い方に驚き、今回は、「黒」の質感に驚く。そうそう、観ながらぼんやり思ってたんだけど、若冲って・・・「AKB48の子達の見分けはつかないのに、飼ってるカブトムシは何十匹いても全部名前付けて見分けが付く昆虫オタク」とかに近い匂いがする・・・。描く対象が人間のときより、動植物の時に俄然生き生きしとるじゃないか。どれだけ沢山いても、一羽一羽に名前が付いてるかのよう。どれだけ沢山咲いていても、一輪一輪にだって名前が付いてるかのよう。それだけ、細部まで躍動している。動物も植物も。弾丸ツアーの甲斐があったな、と思います。そうそう、今回の展覧会、図録もなかなかハイレベル。最近は図録に手抜きの見える(印刷品質も悪い)展覧会が意外と増えてて、がっかりすることもあるのですが、これは素敵。ただし、後悔するほど重いけど(笑)それと、一筆箋が笑うほどハイレベル。「動植綵絵」や「鳥獣花木図屏風」の一筆箋なんて、一枚一枚絵柄が違ってて、完全にミニ図録。ただし、印刷クオリティに命かけすぎて、一筆箋としての書き味が悪いのはご愛敬(笑)
***私が行った日は仕事の関係でたまたま平日。たまたま小雨の降る日。「えー、平日なのに、雨なのに入場40分待ちかあ。」とげんなりしていたのに、後から聞いたらそれって実は若冲にしては衝撃的に短時間だったらしい。後日行った人が、行列に並びながらアップしてた。「あと3時間半。」・・・マジですか∑( ̄□ ̄;)