ほしおさなえ『活版印刷三日月堂』
小さな小さなアルファベット。鉛筆の先で突いた点くらいの大きさにくっきりときれいな文字が並ぶ。先々月だったか、新しくオープンした雑貨屋さんの可愛らしい店主さんと話をしていてまだ販売前の活版印刷の活字を見せてもらいました。何故でしょう。私は、物心付く頃にはすでに「文字」や「言葉」というものにとても興味の強い子どもだったらしいのです。母が読み聞かせてくれる本を、殆ど一字一句まで記憶していて、流し読みで「おばあさんは」を「おばあさんが」とでも読もうものなら「ちがう、『おばあさんは』なの」と、いちいち訂正を入れていたそう。「そんなに覚えてるくせに、読んで読んでって言うのよ」と母は懐かしそうに笑うけれど、それが保育園入園前だというから随分と凝り性でめんどうな子だったろうなと思う。三つ子の魂なんとやらで、文字や言葉が好きな私にとって「活版印刷の活字」だなんて、大好物。小さな重みのある物体から文字が生まれてくるその瞬間がたまらなく愛おしい。その場で購入予約をして帰って今月、「販売を開始しました」の連絡をもらって早速引き取りに行きました。その2日後。たまたま出かけた先で活字切れ(持っている本が尽きること)になって新しい本を買おうと駅の本屋さんに入ったら、まるで待ちかまえていたように目に飛び込んできました。それが『活版印刷三日月堂』という本。ああ、引力だなぁ。
活版印刷所を廻って起こる短編が積み重なっていく。活版印刷という主題のとおり地味だけれども確かな手触りの作品。デジタル画面に表示される文字は、ただ一時的にそこに文字を象った「表示」が現れるという感じ。それは文字の虚像。現代の印刷物に記された文字は、紙としての物質感はあるけれど、平面の上に文字の形にインクが付着しているという感じで文字そのものは平面的。だけれど、活版印刷で打った文字は、作中で語られるように文字に"手触りがある""紙が厚みのある立体物"だと感じられる。ああ、うちにある古い初版本を読むときに感じられる、あれだ。文字のひとつひとつに人の手が生み出してきたもののかすかなかすかな重みがあるのだ。だから、知らず、頁をめくる手が慎重になる一つ一つの文字の存在を確かめるように。この作品は訥々とそれを温かな言葉で人の気持ちや生きているという実感を伴って伝えてくれる。いい本に出会えたなぁと思いました。惜しむらくはこの本そのものが「活版印刷」で出版できない今の出版事情かなと思いますが。いい本に出会うときにはいいきっかけがあります。今回はそういう出会いをじわりと温かに感じられる本でした。本を読むと言うこと、活字を読むと言うこと身の回りにあるものに丁寧に向き合える気がします。お勧めです。********************************今日はポケモンGOのニュースで持ちきりでした。何かずっと違和感を抱えながら見ていて、隣でかすかな寝息を立てている我が家の白猫をそっと撫でると小さな小さな鼓動が感じられました。庭でグッタリとしていた子猫を拾って介抱して育てて、もう12年になります。温かく小さな鼓動が愛おしくて、なんだか涙が出そうになりました。私は、私の掌にかすかに、けれど確かに感じられる重みや余韻を大切にして生きられたらよいなと思うのです。