《浜松中納言物語》① 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ①
巻之一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫の《豊饒の海》の原案になった物語だ、といわれている。…というか、この物語に基づいて、小説を書いた、と本人が言っている。
結構、いまどき名前くらい知っている、という人も多いのではないか。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
一、渡唐、及び関で鳥の啼くこと。
いつか、お噂にお聞きになられた、遠く唐の地で転生になられたという御父君をお想いになっておられる中納言の御君のお心のうちはただただ深くて、是非にと思い立たれた旅の道だったからなのか、恐ろしくも遠いはるかなる波の上とはいえども、荒れた浪風に遭うこともなくて、思うがままの風さえ吹いた僥倖よ、やがては唐の《うむれい》というところに、7月上旬十日の日にお着きになられたのだった。
そこを発って、杭州というところにお泊まりになられる。
その宿は入り江の湖で、非常に興の深いところではあったが、故国は石山に旅されたときの近江の海をふと、お想い出しになられれば、《あはれ》に恋しく懐かしくお想いになられること限りない。
別れにしわが故郷のにほの海に
かけをならべし人ぞ恋しき
遠く離れた故国のそれに似た
異国の海に 船浮かべ、縄投げる人々よ
その姿にかぶる、故国の人々よ、
我が故国よ、なんと、恋しきものか!
そして《こほうどう》というところにお着きになられた。
見るも興みの深いところで、人々の家も甍を並べ、日本の高貴なる人がお着きになられたというので、家々の者らも軒並み姿を現して、見騒ぐさまもおもしろい。
礫(※石の代わりに木)陽[れきやう]というところに船を泊めて、それから華山という山に登るものの、その山の峰高く、谷深く、荒れ狂った激しさは比類もない。
《あはれ》に心細く、
《蒼波路遠し、雲千里、…遠く、遠く、あまりにも遠くて、行く手さえ見えもしないではないか…》と、そらんじてお歌いになさるのを、御供させていただいていた博士らも、涙を流して
《白霧は山にただ深く心惑うばかりで、
…あ、鳥の声のみ、いま、耳もとに鳴いた。》と、応えて歌った。
山を越えれば函谷[かんこく]の関にお着きになられて、日も暮れてしまったので、関にそのままお泊りになられた。
この関の深く寝静まった夜は、鳥らの声の鳴り渡ってこそ、ようやく夜も扉もあけていくのだと町の者の言うのを聞いた従者の、鳥の鳴くのを真似るのの上手な者が、それなら試してみるかと興に想って、夜中のまだ深い時刻にも拘らず、鳥の声にそっくりに似せて美しくも啼き歌ったところ、関番人たちは驚いて関を開いた。
御君らのいたずらに気付いた人々が、なんとひどいことをなされるものかとなじって言うので、さすがに故事のこともまだ記憶にあるらしいね、しかし、めったなことなどするものではない、とお笑になった。
あくる日、この関にお迎えの人々が着いた。
その姿、立ち居振る舞い、《唐国》という絵物語に絵に描かれていたのそのままの美しさだった。
日本の旅符をわたして関を入れば、中納言の御君の、見事にお着飾りになられた御装束、その見るもまばゆい容貌のみやびやかさに、光って目も見えもしないくらいに思えるのを、この国の人々は珍しいものとご拝見させていただいて、愛でさせていただくこと、限りない。
故に、彼らは、むかし《わうかくしやう》の居たと伝えられる高層に、中納言の御君の休息所を、心ことさらに傾け、注意を重ねて磨き上げ、輝くばかりにしてご用意させていただいていたのだった。
しだいしだいに御君の心も落ち着かれて、遠く故国を想うに、雲霞はるかに隔てて、海を渡り山々を越えてきたものの、人々が御みずからをご歓迎させていただいてる様なども、なかなかに興のつきなく《あはれ》かぎりないものではあれども、いつしか御君の御心は《三の御子》、この、御君の御父君のお生まれ変わりと噂される御方に、はやく、ただはやくひとめお目にかかりたいものと、やがてただそれだけを想ってお憧れなさり、御心をお慰めになられるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
孝養の志深く思い立ちにし道なればにや、恐ろしく遥かに思いやりし浪の上なれど、荒き浪風にも遭はず思ふかたの風なむ、ことに吹きおくる心地して、唐土のうむれいといふ所に、七月上の十日におはしまし著きぬ。其所を立ちて、杭州(かうしう)といふ所に泊まり給ふ。その泊(とまり)、入江の湖にて、いと面白きにも、石山のをりの近江の海思い出でられて、あはれに恋しきこと限りなし。
別れにしわが故郷のにほの海にかけをならべし人ぞこひしき
それよりこほうだうに著き給ふ。いと面白くて、人の家ども多くて、日本の人著き給ふとて、家々の人出でて見騒ぐさまどもいと珍し。礫[※旧字:石に変えて木]陽(れきやう)といふ所に船とめて、それより崋山というふ山、峯高く谷深く、はげしき事かぎりなし。あはれに心細く、蒼波(さうは)路遠し雲千里(※1)と、うち諳(ずん)じ給へるを、御供に渡る博士ども、涙を流して、白霧(はくぶ)山深し鳥一声(ひとこゑ)とそへたり。山超え終(は)てぬれば、函谷(かんこく)の関に著きたまひて、日暮れぬれば、関のもとに泊り給ひぬ。この関は、鳥の声を聞きてなむ、あくるといふ事をしると聞きて、御供の人の中にいばへたるものありて、いざ試みむとて、夜半(よなか)ばかりに、鳥の声にいみじう似せて、遥かに鳴き出てだるに、関の人驚きてその戸をあく。いとよしなき事をしつるかなと、人々いふ憎むを、君も聞き給ひて、ふるき心さすがに覚えけるにこそと、うち笑ひ給ふ。明くる日、この関に御迎への人々参りたり。その有様、唐国(からくに)といふ物語に絵にしるしたる同じ事なり。日本のてんふわたいて関をいるゝに、中納言ひきつくろいて、いみじく用意し給へる容貌有様(かたちありさま)、光やうに見ゆるを、この国の人々珍かに見奉(みたまわ)り驚きて、愛(め)で奉る事限りなし。昔のわうかくしやうの居ける高層に、中納言の君のおはしまし所、心ことに玉を磨き、輝くばかりにしつらひて居(す)ゑ奉る。やうやうしづまりて、故郷(ふるさと)おぼしやるに、雲霞遥かに隔てて海山を分け過ぎにけるにつけても、人々の思(おぼ)したりしさまどもの、哀れに悲しけれど、いつしか三の御子(みこ)、疾(と)く見奉らむと思ふに、よろづ慰み給ふ。
(※1)和漢朗詠集《蒼波路遠雲千里。白霧山深鳥一声。》
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