父から聞いた原爆体験 2018.08.06 10:51 カルテNO00356海田まつたに鍼灸整骨院今年もまた原爆の季節がやって来た大阪で東洋医学を勉強していたころ原爆についてよく聞かれた広島にいれば気が付かないが結婚や交際の時に放射能について気にする人は気にする言うか言わないかそんな気がするかつて原爆差別って言葉があったそうだ実際二世としてどうなんだろう焼土と化した広島50年草木が生えないじゃろうと言われた広島現在はと言うとわたしが知らないだけかもしれないが結構みんな元気で放射能の影響もなく生きている広島県人放射能の影響なんて気にする人はいない少なくとも私の回りは以前他県の人から広島県人は暗い感じが・・と指摘されたことがあるどうなんじゃろ??よそに行ったことがないからあまり変わらんと思うけど現在の日本被爆国としてどうなんじゃろ過去の事を忘れて同じことを繰り返す広島の災害だって100年前に同じことが起こっている忘れるんだなぁ人間ってそれでも忘れない努力をするべきだ父が亡くなって5年が過ぎる被爆者の平均年齢も82歳になったそうだ父が生きていれば昭和四年だから89歳・・・16歳の時の体験記わたしの育った町は豪雨災害で有名になった広島県安芸郡坂町 原爆ドームから坂町まで約9キロ爆心地から約5キロ圏内は甚大な被害を受けたと言われている原爆投下が午前8:15分坂町の人々は広島市近郊の宇品にあるガスが爆発したんじゃげなと噂したが広島市近郊の海田警察の人が昼過ぎに新型爆弾が落ちたと伝えられたそうなそこで、父は中国電力のトラックに乗り地元の人の救出に向かうことになる広島の街は三角州からなる橋によってつながっており父の記憶が正しければ石で出来たふたつの橋だけ渡ることができたそうな向洋の方からトラックで救出に向かう父そこで見た光景とは川を見れば 男性は上に女性は下向きに川を流れていたそうな 電信柱に火がついて燃えている光景が印象的だったと言っていた トラックに焼けた人をのせ何往復も搬送したが乗るのを手伝おうとしてもケロイドで手伝えなかったそうなあれから70年あまり失われる記憶平和を祈る鐘が聞こえる