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五輪サッカー日本代表を振り返る >> 1984年ロンドン大会〜1996年アトランタ大会

2018.08.06 20:08

1980年モスクワ大会以前の歴史に続いて、今回は1984年ロサンゼルス大会から1996年アトランタ大会(マイアミの奇跡)までを振り返ります。

サッカー日本五輪代表の成績

1984 - アジア予選敗退(ロサンゼルス)

● 2-5 タイ

● 1-2 マレーシア

● 1-2 イラク

● 1-2 カタール

加藤久、岡田武史、金田喜稔、木村和司、水沼貴史、風間八宏、原博実など「精鋭揃い」と期待されたが、結果は4戦全敗。当時JFA強化部長の川渕三郎は辞任、強化部自体も解散した。


1988 - アジア予選敗退(ソウル)

(A) △ 0-0 タイ 

(H) ○ 5-0 ネパール 

(H) ○ 9-0 ネパール 

(H) ○ 1-0 タイ

(A) ○ 1-0 中国

(H) ● 0-2 中国

この2年前、1986年W杯メキシコ大会の最終予選、勝てば出場の最終戦ホーム韓国戦で1-2と惜敗。ソウル五輪の最終予選も全く同じシチュエーションであった。勝てば出場のホーム国立競技場での中国戦、5万人の大観衆の前でまたしても敗戦。オリンピック出場を逃した。

伝説のフリーキック 木村和司 - メキシコW杯最終予選vs韓国

(YouTube 1985.10.26 Japan-Korea)


1992 - アジア予選敗退(バルセロナ)

1次予選 グループF

チーム 勝 分 敗 / 点

 日本 5 0 1 / 10

 香港 2 3 1 / 7

 インドネシア 1 2 3 / 4

 チャイニーズタイペイ 1 1 4 / 3


(A) ○ 2-1 インドネシア

(A) ● 1-3 香港

(A) ○ 3-0 チャイニーズタイペイ

(H) ○ 2-0 チャイニーズタイペイ

(H) ○ 3-0 香港

(H) ○ 3-1 インドネシア

最終予選

※全試合マレーシアで開催。

チーム 勝 分 敗 / 点

 カタール 4 0 1 / 8

 韓国 3 1 1 / 7

 クウェート 2 2 1 / 6

 中国 3 0 2 / 6

 日本 1 1 3 / 3

 バーレーン 0 0 5 / 0


● 1-2 中国

△ 1-1 クウェート 

○ 6-1 バーレーン

● 0-1 韓国 

● 0-1 カタール

(後列左)下川・小村・相馬・名塚・原田・三浦文 (前列左)永井・名良橋・沢登・永山・神野

 92/1/27 バルセロナ五輪アジア最終予選 第4戦 vs韓国 0-1

23歳以下の年齢制限が加わった1992年大会

プロリーグ発足以前は、高校サッカーから大学へ進学、その後企業チーム入りというルートが主流でした。年齢制限が加わったことにより、五輪代表は必然的に「大学選抜」の様相を呈した。メンバー構成は大学生12人、日本リーグ所属7人、高校生1人。この中には相馬直樹(早稲田大)澤登正朗(東海大)名波浩(順天堂大)藤田俊哉(筑波大)といったJリーグ発足後の名プレイヤーたちがいた。しかしグループ最弱のバーレーン以外に勝利を挙げることができず、またしても予選敗退となった。

バルセロナ五輪 劇的な展開で開催国スペインが優勝!

(YouTube 1992バルセロナオリンピック サッカー決勝 スペインvsポーランド)


1996 - 本大会グループリーグ敗退(アトランタ)


Jリーグ発足直後の1993年、「ドーハの悲劇」によりアメリカW杯出場をロスタイムで逃した。1968年メキシコ五輪以来の国際大会出場という悲願を成し遂げたのは、あの"マイアミの奇跡"を起こしたアトランタ五輪代表であった。Jリーグ各クラブで台頭してきた若い選手たちが、アジア最終予選の準決勝でサウジアラビアとの死闘を制し、28年ぶりに五輪切符を勝ち取ったのだ。


アジア1次予選

タイラウンド

○ 5-0 タイ

○ 4-1 チャイニーズタイペイ

日本ラウンド

○ 6-0 チャイニーズタイペイ

○ 1-0 タイ

最終予選

※全試合マレーシアで開催

グループリーグ

△ 1-1 イラク

○ 4-1 オマーン

○ 1-0 UAE

準決勝

○ 2-1 サウジアラビア

(28年ぶりオリンピック出場権獲得!)

決勝

● 1-2 韓国

ちょっと長めの動画です。グループリーグの映像から始まります。準決勝のサウジアラビア戦、前園の2ゴールはものすごい気迫を感じますね。「ゴールに向かう」とはこういうプレーを指すのだと思います。気迫だけではなく、映像で見てもボコボコのピッチの中での強いパス・正確なトラップ・冷静なゴールは、見事としか言いようがありません。また1点目の日本チームのダイレクトプレーからのゴールは、現代サッカーと比べても何ら遜色のない、卓越したものだったと思います。


マイアミの奇跡 - ブラジルに勝利もグループリーグ突破ならず

本大会 グループD

位 国 勝 分 負 / 点

1. ブラジル 2 0 1 / 6

2. ナイジェリア 2 0 1 / 6

3. 日本 2 0 1 / 6

4. ハンガリー 0 0 3 / 0


○ 1-0 ブラジル

● 0-2 ナイジェリア

○ 3-2 ハンガリー

準々決勝 

ポルトガル 2 - 1 (延長) フランス

アルゼンチン 4 - 0 スペイン

メキシコ 0 - 2 ナイジェリア

ブラジル 4 - 2 ガーナ

準決勝 

ポルトガル 0 - 2 アルゼンチン

ナイジェリア 4 - 3 (延長) ブラジル

3位決定戦 

ブラジル 5 - 0 ポルトガル

決勝 

ナイジェリア 3 - 2 アルゼンチン


"出ること"から"勝つこと"へ

世界への扉をこじ開けたアトランタ五輪世代。ただそこに、世界の舞台に「出ること」だけに満足しない若者がいた。当時19歳の中田英寿。この後世界の舞台で「勝つこと」を体現していく男と、ワールドユース準優勝を引っさげた"黄金世代"が融合し、史上最強と言われたシドニー五輪代表が誕生した。2000年シドニー五輪の振り返りはまた次回に。


-End-


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