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☆ Body knows the future ☆

自分のカラダぐらい自分で治さなくっちゃ。医療を頼りにしない生き方を真剣に考える時が来た。

2016.10.07 21:32

Chickpea Flour Quiche [Vegan]





異常ありません。


今日はこれで終わりです。




この一言を聞くために、


睡眠時間を削ってまで、


他の仕事を済ませて、駆けずり回ってここに来たんじゃないよ。


股関節の手術を受けた患者が、


歩けるかどうかは問題じゃないようだ。


術後に、入れた人工骨がうまく収まっているか、


それを見ただけ。


足に触れもせずに、診察は終わった。



まあ、そんなとこだと思っていたけれど、


緊急入院してから、これで三人目、三回目の診察、


すべて初対面の医師。



チームで診療、手術に当たっているんだって。


担当医はいない。



担当のお医者様がいないと、ちょっと不安ですねって言ったら、


誰に聞いても、わかるようになっているので、


その点、安心とも言えると思いますだって。



病院は、壊れた中古製品の修理工場のように、


毎日忙しく運ばれてくる患者を受け入れ、


そして、修理を続けている。



経営的にも、グループ会社を作って、


うまくいっているようで、


完全にシステム化された下で、


人間も動いていて、管理されている。



まるで、製造会社を見ているようで、


人間を扱う医療の形は、


非人道的であるように思えてならない。



そんなシステムの中で働く人たちは、


かなりストレスを抱えているし、


患者や患者の家族も、たくさんの書類にハンコを押させられて、


文句も言えずに耐えている。




しょうがないなあ。


自分のことで病院に来ているのではないから。



私?


私は、病院と決別してからかれこれ30年ぐらいになるかな。


ステロイドの副作用の事件があって以来、


自分のカラダは自分で治すと心に決めたから。



あの有名大学病院も、


「白い巨塔」そのものだった。


コネがあって、教授に直接診察をお願いすることになったが、


まずは、これを持って会いに行ってくださいと、


菓子折り?も指定されたっけ。


お金も入れたかな?



その道の学会でも有名な教授は、


講演会でも人気があって、


顧問もたくさん引き受けていたようで、


私も何回も講演会には仕事柄通っていました。



「私はステロイドは使わない」と、


豪語していたにもかかわらず、


君の場合は、原因が特定できないから、


これ使って。



これで終わり。



まずは、問診もなしで、


アレルギー反応をチェック。


使っているものを持って来いというので、


山ほど化粧品を持って行ったら、


係りの人たちが、私の背中一面に、


パッチテストを行い、すべて陰性。



教授は、最後の最後に、大勢を引き連れて、写真班までいてね、


そして患者に、引導を渡す。


「治らないよ」って。????


原因はわからないから諦めろって?


それは、本来の「引導を渡す」と意味違うじゃん。



医道を目指すものは、


仏道を目指すものと同義だったのでは。


導師が、人々を導いて仏道に案内することを意味するこの言葉は、


葬儀や儀式の時に、死者が迷わずに悟りを開くことができるように、


法語を唱えることを意味するようになったと書いてある。


生を諦め、別の道への橋渡しの「悟りのための言葉」



迷える心を鎮めて、安らかに悟りの道へと精進させるはずの言葉が、


道を外した医道では、


「実刑判決」のような「告知」になっているのは、


実に悲しいことだよなあ。





診断とは、こんなものじゃない。


これじゃわかるわけないでしょ。


どんなライフスタイルで、どんなものを食べているか、


職業は何か。


家族でアレルギーを持っている人がいるか。


なんにも聞かないんだもん。



最初から、解決する気もないんじゃない。



医道は、どこへ道を進めてきたのかな。



機械ばかりが高性能になって、


それを扱う人間も、無機化している。



診察が終わると、会計にファイルを置いて、


時間が経つと処理が終わったプラスチックの診察券を渡され、


キャッシャーに入れてお金を支払う。


自動音声で、お大事にだって。



どこが、お大事によ。


毎度あり〜でしょう。



全くこころがこもっていない。


人間と人間との接点がない医療システムで、


どう人間を治していくのか、


これからどう終焉を迎えるのだろうと、


改めて考えさせられた1日だった。