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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

聖王の御世2-フェデリコ死して大空位時代

2018.08.07 03:02

パルマ敗北後の皇帝フリードリヒ2世ことフェデリコに、1249年北伊攻め司令官だった長男エンツィオがボローニャで捕えられるという悲報が見舞った。皇帝は息子と同じ重さの金を身代金にする、と交渉したが、ボローニャは応じなかった。エンツィオは詩人でこの後23年も、多分一族の中で一番長生きする。

そして翌50年、フェデリコは攻勢に出て北伊での勢力を奪回する。仏王ルイがエジプトで捕えられたと知るや、その解放にもイスラムと交渉する。フランスに居る教皇を攻めようともしなかった。ところが11月、鷹狩りの最中に腹痛を訴えそのまま12月13日に崩御するのである。

教皇はフェデリコ死すの報に「天地が喜ぶ」と大聖堂の鐘を打ち鳴らした。教皇はローマに堂々と帰還し、フェデリコ一族の追討を命令する。52年ドイツ王の息子コンラートはイタリアに逃れ、ドイツは諸侯入り乱れる「大空位時代」に突入する。そしてその権威付として「神聖ローマ」という名が使われる。

52年仏王ルイ9世が帰還したとき、ヴァチカンは安堵したろう。教皇対皇帝の争いは、教皇が皇帝を潰すという形で決着、イタリア都市は独立してフェデリコの遺産も取り入れ、ルネサンスを準備する。そしてヴァチカンは、帝国の代わりにフランスを頼るようになる。

下はナポリの皇帝フェデリコ像。南イタリアでは愛されているようだ