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man maru

ヨガ

2018.08.07 05:32

7月はなかなか長かった。

6月半ばから梅雨、地震で落ち着かず、その後40度近い猛暑で身体は思うように動かず。

貧血、食後低血圧。熱中症まではいかなくとも、日中外を10分で歩くと、その後2日は家でひたすら休む。眠って、食べて、少し買い物へ行き、食事を作る、それだけで精一杯。それらが仕事になる。


こうなると、日々同じ夢を見る。


中学校へ途中で行かなくなり、高校へ進学しなかった自分。

その後実際には大学へ進学し卒業もしているのだが、

空白部分の中学〜高校時代を埋めようと、30を過ぎてからわざわざ高校へ入学し、

授業を受けようとしている。

しかしそれでも何らかの理由で、授業に出れなかったり遅刻したりする。

大抵理由は、制服が見つからないとか、通学のための自転車が見つからないということ。

そこで学校へ行くのを諦めて、「あぁ、今日も行けなかった。自分」と、

なんとも言えず情けなく、もやもやした後味の悪さだけが残る。


目覚めた後で思う。また「不足感」を補おうとしているのだと…


この数ヶ月少し体調が上向きだったので、自分に、できることが増え、知らず知らずの間に期待も増えた。しかし思うように身体が動かなくなり、自分に期待していた以上のことができなくなり、「私は欠けている」「欠けた部分を埋めなければ」と無意識で必死に思っていたのかもしれない。


毎朝ヨガを少しずつするようになった。体を伸ばして痺れや痛みを感じるところで伸ばすのはやめて、呼吸を送る。その痛みを感じるところに。酸素を送り届けると、その痛みは消えて、さらに体を伸ばせるようになる。


こうして生きれば良いのだなと思う。


自分が身体に何の不自由もなく、限界なく伸び伸びしている状態をイメージするのはいい。そのポーズを目指しながら身体を伸ばす。と、思わぬところであちこち身体は止まったり痛みが出る。その都度そのつまずきを邪険にせず、そこにこそ、呼吸を送る。その中へ入ってゆく。そうすると痛みは消える… その繰り返し。


それこそが、十全に今を生きる、その全体性の中にあるのだと。

自分が出会うつまづき、痛み、思いのならなさこそ、呼吸を送り、意識を傾け、集中する場所なのだと。


瞬間的に、欠けた自分も丸ごと満ちている、そうした気持ちになった頃から、

その不登校の夢は見なくなる。


どんな自分も、ピースの欠けた部分含めて、すべての瞬間、満ち足りている。