自分を愛して自分を信頼できないと「胃」「膵臓」「脾臓」を痛めつけます。なんとか箘は不自由さを食べてくれて生きているんですよん♪
はじめまして!何度この言葉を、人生でいうのでしょうか。初めての出会いで、様々な印象を相手の方から受けますが、簡単にその感じ方を分けるとすると、「心地よい感じ」と「そうではない感じ」の二種類でしょうか。私は、このどちらの人も興味がわきます。「心地よくない感じのひと」は、さらに興味が・・・・その人の、ヒストリー(人生の履歴)が、エネルギーレベルで伝わってくるからです。どんな気持ちで毎日を送っているのか、その人の周囲を囲んでいる感情の渦は、周囲をその対流に引き込もうとしています。「心地よくないひと」のマグネティックフィールド(電磁的オーラのようなもの)は、エネルギー言語では、「満足できない」と訴えています。ですから、このマイナス極に引き合う、プラス極のひとが、自然の法則で引き寄せられるのです。「自分を犠牲にして、周囲のために尽くすひと」なんて、引かれていきそうですね。「罪の意識」に占領されると、その心の根っこには、自分の楽しみは、あっちにやっといて、人のために、罪の意識に押しつぶされないように、頑張ることが、自分の人生の仕事のようになってしまいます。自由な国にいながら、心は、監獄に入っているような状態。全く自由がありません。
http://www.flickr.com/photos/thomashawk/5738152793/この人生、自分のために生きないで、そのまま終わらせてしまうのでしょうか?そのまま、「脾臓」や「胃」「膵臓」を、傷め続けるのでしょうか?胃の中に現れるなんとか箘は、そんな不自由さも食べてくれているんです。私たちは、自身に対して、何を与え、何をはぎとっているのでしょうか?もっと自由になりましょう。これは「戦いの道」ではなく、「自分を愛する『信頼の道』です」リフレクソロジールームママキッチン