押し殺されている感情:日本人はお付き合いが上手?ほんとうに「和」の国?
世界的にみると、日本人とは、とっても表面的には、おとなしい人種ということです。中国人のたとえですが、賭けをやっている中国人をみて、「中国人は、ゲーム中にトイレにたつのもおしいので、用足しができるように円陣を組んで、トイレしながら、賭け事をしている」要するに、自分から出たものを、公共の場で見せても恥ずかしくないというたとえです。ですから、自分の感情も露にして、それで当然と思っています。日本人と対照的のようですね。私たち日本人は、一見穏やかで、人付き合いがとても良いように見えますが、なかなか心を割って打ち解けるまでに、かなりの時間を要します。そのために、「同じ釜の飯を食べる」ことや「酒を酌み交わす」事無しには、同族意識がわかないのでしょうね。体裁、対面、外面(ソトヅラ)、なんていう心の城壁を、作って、付き合いをしているので、心の底では、孤独感がいっぱいですし、「自分をわかってほしい」という気持ちでいっぱいです。「和」の国という言葉があるように、本来は、調和、ハーモニーを重んじる民族だったのでしょう。(過去形)これは、現代のように、「和」を表面的に取り繕っているのとは、まったく異なります。
リフレクソロジールームmama-kitchen
「和」とは、ハーモニー(調和)です。「和」とは、他人と同じになる事ではありません。リフレクソロジーで、五行思想を取り入れて、各臓器のバランスを見る時に使うチャートがありますが、それぞれの臓器が、自らを知り、自主独立しなくては、私たちの身体の調和は保てません。
「和」という言葉が残っているという事は、このチャートが教えてくれるように、日本人も古代では、個性を重んじる民族だったのではないかと思います。ドレミの音階も、それぞれの本当の音を奏でて、はじめて素晴らしい、ハーモニーがうまれます。本当の音とは、自らの「魂の音」です。本来私たちが、奥深く持っているスピリチュアリティに目覚める事で、本当の自分に関われるようになるでしょう。そうして初めて、日本の「和」が再び完成する。そんな気がします。いま、日本で起こっていることは、私たちの深い精神性を目覚ませる出来事であると思われます。ママキッチン